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青空保育ぺんぺんぐさ(神奈川・横浜市)山本由有子

「青空保育の母、見守り奮闘記
~厳しい自然の中で、子どもと生きる~」

自然の中でのびのびあそぼう、青空保育との出会い

 初めての息子の言葉が遅い、と気づいたのは、一歳半ごろ。私はパニックになり、「本当に子どものためになる環境ってなんだろう」と考え続けた。そして、出会ったのが横浜市青葉区の「青空保育ぺんぺんぐさ」だった。

 月に一度のオープンデイ「あそぼう会」のチラシに書いてあった文が、私の心をとらえていた。「公園であそんでいて、きゅうくつに思ったことはありませんか。(中略)服を汚したらダメ。もっと子どもたちを自由にのびのびあそばせてあげたい。できれば自然のなかで、大人が作った遊具ではなく、自分で興味のあることを見つけて、心ゆくまであそばせてあげたい」ああ、そうか…。人間は自然から生まれ、やがて自分たちだけが都合よく暮らせる場所「都市」を作った。ならば、野生に近い未就学児の時代は、自然のなかであそぶのがいいのかもしれない……。

 そうして入った「ぺんぺんぐさ」。最初は水たまりでジャボジャボあそぶ息子を「いいわね~……」といいながら、内心ハラハラしながら見守っていた。

「見守り当番」に初トライ

 そんなドキドキした期間を経て、やがて私も「見守り当番」をするようになった。専任の保育士さんは4人ほどいるが、「ぺんぺんぐさ」では、それに加えて母親が交代で、保育当番をする。最初は、目の前のことに必死で、何をやっても「あちゃー……」と思うことばかりだった。子どもが泣けばオロオロしてよけい泣かせ、「ママがいい!」という言葉に返す言葉もないほど傷ついて、結局保育士さんにおまかせしたり……。

「自分の子が子どもそのままにあそべる場所がほしい」とだけ思って入ったので、まさかこんなに「見守り」が大変なものだとは思っていなかった。必死すぎて、自分の意思とは別に、知らないうちに「保育」の第一歩を踏み出していることにも気づいていなかった。だから実際に何をポイントに「見守り」すればいいのかわからない。ほかのママたちの動きを見て、「ああっ、こうすればよかったのか……」と、毎回焦るばかりだった。

子どもが立ち上がる、手のひらの力

 青空保育をはじめて半年を過ぎたころ、冬がやってきていた。園舎をもたない青空保育の冬は、子どもたちにはけっこう厳しい。お昼ご飯には、暖房の効いた室内(公民館など)に入ることができるが、子どものコンディションによっては、泣きだしたりする場合もままある。

 当時2歳のヒバも、その日は「調子の悪い子」だった。自然の多い公園であそび始めてしばらくしたあと「寒い~! おかーちーん!」と泣きだした。見てみると、上着は十分に着ている。おかしいな、と思いながら、「ほら、走ればあったかくなるよ!」と誘っても「嫌だ!」と泣き続ける。ならば、抱っこはどうだ……? ……ものすごい勢いで嫌がる。そうか、この歳なら抱っこは嫌かもな。上着を上に着せてみる……やっぱり嫌がる。あーもーどうすれば……と思いながら、手だけでも暖めようと手をつないだら、嫌がらなかった。仕方がないので、せめて手から体温が伝わるように、しっかりと手を握った。

 すぐ隣を、近くの幼稚園から散歩にきたらしき子たちが、二列に並んでやってきた。寒さで泣いているヒバを見て困っている私からすれば、幼稚園の子たちは、室内からほかほかした暖かい空気を一緒に連れてきたように見えた。それはなんだか「幸せ」に包まれた子どもたちに見え、「青空保育では、ほかの保育施設では普通なことも、子どもにはあげることができない。小さな子どもに泣くほどつらい思いをさせて、この保育、本当に子どもにいいことなんだろうか……」とぼんやり思っていた。

 泣き続けていたヒバは、手のぬくもりが伝わって落ち着いてきたのか、次第に泣き声が小さくなっていった。そこへ、スポーツが好きなエイキが、自分の帽子をとって私とヒバをキーパーに見たて、投げ始めた。私はヒバとつないでいる片手がふさがっているから、なかなかうまく捕ることができない。それが、余計にエイキをヒートアップさせたらしく、いかにも楽しそうにこちらに帽子を投げてくる。その楽しさにつられるように、ほかにも私とヒバに帽子を投げる子がちらほらとやってきた。ヒバも、少しずつ手を動かして、なんとなく帽子をキャッチしようとし始めた。

 やがて、キーパーふたりに、ゴールを決めるプレイヤーが4人に増え、PK合戦も盛況になったころ、遠くで「お散歩行くわよ~」と、ほかの見守り当番の声。「行く~!」とヒバは、まるで私と手なんか握っていなかったような感じで、走り出していった。

 自然と涙がにじんできた。子どもはほんの少しの手助けで、立ち直り、また歩き出すことができる力を持っている。大人が助けるのは手のぬくもりほどの、「ほんの少しの力」でいいんだ、と思ったら、一気に気も楽になった。

子どもたちの運動会

 それから、季節がまた半年ほどめぐり、去年の夏。3歳児になったヒバは、虫網を自分なりにとりまわして、セミをとることができる、たくましい男の子になっていた。ある日、最年長(4歳児)のカイトが「みんなでかけっこしよう! よーい、どん」と、自分でしきって、公園を円形に走り始めた。つぎつぎと続く、2歳、3歳の子どもたち。しかし、競争意欲があるのはカイトだけで、ほかのみんなは、走ることが楽しくてしょうがない様子。最初は頼もしく見ていたが、やがてカイトが何度も1位になって、とても満足そうにしているのを見て、このまま続いたら、ちょっとつまらないな、と、一緒に走ってみることにした。

 走ってみたら、なんとも走りにくいこと! あっちこっちから大きな石が顔を出し、大きな段差もある。しかし、一緒に走る私を見て、みんなとってもうれしそうだ。一緒に走らなければわからなかったいろんな子の顔が見えた。前々からひとりでよく走ってた子の、楽しそうな顔(しかしスピード自体はけっこう速い)。ゆったり走っているが、小さく「アナと雪の女王」の歌を楽しそうに口ずさんでいる子……。その中でも、ヒバは、顔もぐっと真面目、集中して走っていた。

 私がカイトを負かそうと、子どもたちをごぼう抜きにして走っているとき、大きな段差でヒバが転んだ。下は土だったが、ザザーと反動で大きく滑る。あっ、と思ってかけ寄ろうと思ったが、かまわず走るヒバ。すると、すぐまた転んだ。これはまずい、とかけ寄ったら、とりあえず血は出ていない様子。「大丈夫?」と顔を見てはっ、とした。痛くてちょっと泣きそうになっているのをぐっとこらえている。痛さより、みんなで走る楽しさが勝っている顔だった。そんな表情を見られたことに胸をつまらせながら、ほんのり足をひきずっているヒバを確認しながらゴール。ゴール後、ケガの様子をチェックしたが、ひっかき傷程度で、特に問題はないようだ。「また走る?」と聞くと「うん!」と走っていくヒバ。

 しかし、どうしたわけか、しばらくするとゴール際で所在なさげに立っている。どうやらガキ大将のカイトが、ヒバのケガを心配して「応援団」の設定にしていたらしい。カイトに保育士さんが「カイト、ヒバはもう走っていいの?」と聞くと「ヒバ、いいよ」とカイト。ヒバは、ほっとした顔をして、うれしそうに走っていった。私はあまりの素直さに、笑いをおさえることができなかった。お迎えにやってきたヒバの母にこの話をすると「親の言うことは聞かないのに・・・」と苦笑いをしていた。

 私が青空保育に入会したころ、ヒバは預け慣らしの時期だった。2か月くらいもの間慣れず、泣き続けて元気のなかったヒバを見て、「うちの子は大丈夫だろうか……」と不安になったものだった。しかし、2年近く経つと、子どもはこんなにもたくましくなり、そして「本来のその子らしさ」が自然と美しく花開くのだなぁ、と、子ども(人間)のもつ力の強さに、改めて力づけられる思いである。

 四季の暑さ、寒さ、風や雨、雪……、そして、枯葉や花や草、虫、石や水を、そのまま心と体全体で感じながら「自然に合わせて」する保育。まだまだはじめて1年半ほどだがこの解放感と緊張感に、癒やされ、励まされ、そして、自分が死んだあと、いつかは還っていく自然とともにいることができる日々を、祈るような思いで過ごしている。

受賞のことば

 このたびは、身に余る賞をいただきまして、本当にありがたく、しかし、本当にびっくりいたしました。
「保育については多少知っているが、しかしプロではない。でも、ときに雨でずぶぬれ、泥だらけになりながらも『保育』をしている……」そんな宙ぶらりんな私たちもいることを、保育の先生方に知っていただければいいなと思い、今回応募させていただいたので、まさか賞をいただけるとは、思ってもいませんでした。
 私に、いつも感動を与えてくれる、ヒバはじめ、ぺんぺんぐさの子どもたちに、本当にありがとうをいいたいです。
 そして、言葉と行動を尽くして、本当に充実した保育を続けてくださった保育士ミエコさん。ミエコさんとぺんぺんぐさがあったおかげで、私は自分がどう生きていきたいか気づくことができ、この文を書くことができたと思っています。
 最後に、口ばっかりな私より、着実に仕事をこなし、素晴らしい個性を発揮した保育をしている、ぺんぺんぐさのお母さんたち。尊敬しています。本当にありがとうございました。

講評

 ひとりの母親が、保育助手を体験しながら、親としても保育者としても育っていく、その過程が感動的です。わがこだけではなく、いろいろな子どもたちにふれあい、子どもが本来もっているたくましさを、自然の保育のなかで確実につかんでいます。これから山本さんのように「保育参加」という形で、母親が積極的に保育に携わっていかれることが望まれるのではないでしょうか。今回の「わたしの保育記録」は、幼稚園、保育所、子ども園だけでなく、多様な保育形態で実践してこられた方からの応募があり、読者の幅もひろがっていくのではないかと、うれしく思いました。審査をするなかで、「ご自分の子どもさんとの葛藤をもっと追究し書かれるとよかったのでは……」という意見もありました。
 文章力がすぐれています。これからも実践記録を、ぜひ続けて書いていかれるといいですね。
「子どもとことば研究会」代表 今井和子