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宇都宮大学教育学部附属幼稚園(栃木・宇都宮市)岩渕千鶴子

「動く保健室」

 私は幼稚園に勤務している養護教諭です。日々、保育者の一員として、養護教諭の視点を生かしながら子どもたちにかかわっています。

「動く保健室」として

 本園の保健室は、小中学校のようにひと部屋としてあるのではなく、職員室の一角に保健コーナーとしてあります。小学校から幼稚園に赴任してきた当初は、これまで自分がいつもいた保健室がないことに、とても戸惑いを感じました。自分の城である保健室がないことで、幼稚園での自分の居場所がないように思えたのです。でも、今は違います。幼稚園のあらゆるところが自分の居場所であり、はりきる場でもあるのです。私は、できるだけ保健コーナーから出て行き、子どもたちとともに生活をするようにしています。いつでもどこでも、けがや病気の手当てができるように救急バッグを肩にかけて、私自身が「動く保健室」なのです。
 子どもたちが庭で虫取りをしていると一緒に虫を探したり、砂場で遊んでいるとそっと近づいてみたり。おやつやお弁当を一緒に食べ、庭で採れた梅の実でジュース作りを一緒にすることもあります。
 子どもたちとともに生活をしていると、いろいろなことに気づいたり発見したりすることがあります。登園時に泣いていた子が友達と楽しそうにあそんでいる姿を見て安心したり、あの子は乱暴な面もあるけれど毎日お花に水を与えている優しい姿を見て、うれしくなったりすることもあります。また、前歯がぐらぐらしてきた子には歯の大切さについての話をしたり、鼻水がうまくかめない子には鼻をかむコツをやってみせたり。ときには、手についたバイキンを見てみたいと興味をもった子にはどうしたらバイキンが見られるのかを一緒に考えたりすることもあります。
 私は幼稚園の養護教諭として、子どもたちが健康で安全な生活を送り、健康や体への興味関心を高めていけるような働きかけを子どもたち一人ひとりに応じながら「動く保健室」の中で行っています。

「先生には教えてあげないよ」

 養護教諭にとって健康診断は、一大行事です。健康診断を通して、子どもたちの健康状態を知ることも大切ですが、子どもたち自身が自分の体に興味や関心をもち、健康のすばらしさに気づいてほしいと願っています。でも、幼稚園に赴任した当初の私には心の余裕がなく、子どもたちの思いに気づかずに実施していたようです。
 それは視力検査のときのことでした。検査前に、子どもたちにランドルト環の切れている方向を指さすことを説明し検査を始めました。養護教諭が「じゃ、Aちゃんからやってみよう。これは、どう? どっち向きに切れているかな?」と聞いたところ、Aちゃんは「先生には教えてあげないよ!」といって検査をしないのです。私は、Aちゃんの予想外の言動にとまどいました。この日はAちゃん以外の子たちの視力検査をどうにか終えましたが、Aちゃんの「教えてあげない」の言葉がずっと心にひっかかっていました。
 職員室に戻り、このことを話題にすると、園長先生から「それは、きっと、Aちゃんにまだ受け入れてもらえていないってことね」と話をされました。この言葉に私はドキッとしながら、自分の健康診断のやり方をふり返ってみました。私は、養護教諭として経験は増えてきたけれど、子どもたちが健康診断を受けるのは当たり前のこととおごった考えをしていたのではないか、健康診断をスムーズに終えることだけを考えて肝心な子どもの思いや信頼関係を築くという基本的なことを忘れていたのではないかと反省しました。そして、この出来事は、幼稚園での健康診断のやり方を考え直す機会となりました。

 まず、健康診断の日程ですが、入園や進級後の子どもたちがまだ不安な時期から始めるのではなく、幼稚園の生活リズムに慣れたころから実施するように計画してみました。こうすることで、私と子どもたちとの関係性を築く時間もとれます。この間に私は、子どもたち一人ひとりとかかわりをもち信頼関係を築くように心がけました。また、子どもたちが健康診断をわかりやすく安心して受けられるような工夫もしました。事前に健康診断の大切さや受け方について、絵や写真を使いながら視覚的にわかりやすいように話をし、その後、しばらく保育室に掲示しておきました。すると、掲示物を見ながら、年長組では「今日は歯の検査があるね」「僕、きれいに歯みがきしてきたよ」と友達と話をしていたり、年中組では聴力検査の後に、空き箱で似たような器械を作って耳の検査をする病院ごっこであそんでいたりなど、子どもたちの健康診断への興味や関心が高まっていったのです。
 また幼児期は、健康診断を泣かないで受けたり、洋服の脱ぎ着が自分でできたりすることも自信につながったり、はりきる大切な機会です。しかし、園医による検診ではむやみに不安がる子が多く見られます。そこで、年長組と年少組が手をつなぎ一緒に受けるようにしました。これは、入園式で年長組が新入児の手をつないで入場したことがよかったので検診にも取り入れてみたのです。年長児は小さい組の子に頼られることで年長組としての誇りがめばえていき、年少児は大きい組さんがそばにいてくれて、お手本を間近に見ることで安心して受けられるようでした。
 視力検査では、ゲーム感覚であそびながら練習できるような掲示物を保育室に作ってみました。拡大したランドルト環の中に子どもたちが好きな絵(虫や車、動物などクラスの実態に応じたもの)を貼り、「どこから、出てきたらいいかな?」とクイズ感覚で練習できる場を作ったのです。その結果、子どもたちは「早くやりたい!」「こんなの簡単!」「明日もまたしたい!」と検査を心待ちにしたり、楽しんで受けたりするようになったのです。
 私はAちゃんとの出来事から幼児期の健康診断のあり方について考え直す機会となり、子どもたちがいきいきと目を輝かせながら健康診断を受ける姿を見て、さらに養護教諭としてのやりがいを感じるようになったのです。

「あれ、治ったみたい。」

 養護教諭は、子どもたちのケガや病気の手当てをすることも重要な役割のひとつです。私は、ケガや病気の手当ては、単に薬をつけたり休養したりするだけではないことを、
Bちゃんとのかかわりから気づかされました。
 ある日、年長組のBちゃんが、足が痛いといって私のところにやってきました。いつも元気に遊んでいるBちゃんが来るのは珍しいことです。
養護教諭「いちばん痛いところはどこ?」
Bちゃん「このへん。あと、ここも痛い」
 と、足の甲と土踏まずのあたりを押さえています。でも、痛いという部分をよくみたりさわったりしても、赤くなっていたり腫れていたりなど特に変わった様子は見られません。私は、Bちゃんの思いを探りながら話しかけます。
養護教諭「どこで痛くなったのかな?」
Bちゃん「前庭かな……?」
養護教諭「前庭で足がどうかなったのかな? ぶつけた? ひねった?」
Bちゃん「うーん、さっき、急に痛くなった」
 と、あいまいな返事です。私は手当ての方法に迷いながら、まずBちゃんがそれまでどこで何をしていたのかを知ることで、けがの手がかりがつかめるのではないかと思いました。
養護教諭「じゃ、どこで痛くなったのかを見に行こうかな。先生を連れて行ってくれる?」
Bちゃん「うん、いいよ。こっちに来て」
といい、少し痛そうに歩きながら、ケガをした場所に案内してくれました。前庭に出て、まず、ハングリングに取りつけてあるブランコのところに行き「ここで、こうやってブランコに乗った」と、ブランコに乗って見せてくれます。その後、私も同じように乗ってみます。次に木製のハウスの中に入り「ここで、泥団子を作っているのを見てた」というので、私もハウスの中に入ってみます。さらに、丸太の橋を渡って鉄棒をくぐって行きます。Bちゃんは、私がBちゃんの後に続いて同じようにしていることがうれしいようです。今度はツバキの木に登り、「ここで、セミの抜け殻を見つけたんだ。先生にも見せてあげる」とポケットから大事そうに出して見せてくれました。私が「うわー、すごいね」というと、近くにいた子たちが数人集まって来ました。
「僕にも見せて」「どこにいたの?」「僕も見つけたいな」と、次々とBちゃんに話しかけてきました。Bちゃんは、得意そうにセミの抜け殻の話をしています。すると、Bちゃんは「あれ、何か、足が痛くなくなってきた。ほら」と、ジャンプまでしています。養護教諭が「そう、よかったね」と、うれしそうにいうと、Bちゃんは、私から離れて友達と虫とりを始めるのでした。
 この出来事を担任に話すと、実は、Bちゃんは母親が体調を崩し数日間幼稚園を休んでいたのでした。久しぶりに登園してくると、仲よしの友達は他の子とあそび始めていて、友達の遊びのリズムにのれず、戸惑いながらあそぶきっかけをうかがっていたようです。心細く不安な思いから足が痛くなり、私のところにやってきたのでした。Bちゃんにとっての足の痛みは心の痛みでもあったのです。心の痛みは、Bちゃんの思いを受けとめ寄り添うことで徐々に軽くなっていったのです。
 私はBちゃんとのかかわりから、薬や休養など外見的な手当てだけではなく、子どもの思いを受けとめ寄り添う内面的な手当ての大切さを実感しました。そして、今後も、幼稚園の養護教諭として、私自身が、いつでもどこでも子どもたちの心と体を丸ごと受けとめる「動く保健室」でありたいと思うのです。

受賞のことば

 このたびは、「佳作」という素晴らしい賞をいただき、誠にありがとうございました。
 この保育記録は、私が小学校から幼稚園の養護教諭として初めて赴任し、さまざまな面でとまどいながらも、子どもたちや教師たちから気づかされたり学ばせてもらったりしたことをありのままに書いたものです。ときには子どもの思いがわからず悩み自分の力不足を感じたり、子どものやさしさに感動し心が温かくなったり。ときには先輩や同僚の教師からのアドバイスで目の前がぱっと明るく照らされたり、熱い子ども談義を交わしたりといろいろな出来事があり、たくさんの経験をしながら幼稚園生活を送ってきました。
 このたびの受賞は、私にとってさらなる励みになるとともに、これからも幼稚園の子どもたちと真摯に向き合っていこうと強く思うこととなりました。
 これまでご指導いただいた諸先生方、また関係の皆様に心よりお礼申し上げます。

講評

 小学校の養護教諭を長く勤めてきた岩淵さんの幼稚園における「異文化」体験と、そこにおける養護教諭としての奮闘ぶりが、興味深い事例とともに紹介された記録です。ここには小学校との関係でも、保育者との関係でも「異文化」な存在として活動する岩淵さんの保育実践が描かれているのですが、「視力検査」で「教えてあげないよ」といったAちゃんの言葉をきっかけに、健康診断の時期から視力検査の方法まで変えていく実践の展開過程に、保育実践を創り出す大切な視点が表現されているように思えます。
 また、心のモヤモヤを「足が痛い」と訴えてくるBちゃんとのかかわりから、「子どもの思いを受け止め、寄り添う内面的な手当の大切さ」を発見していくプロセスも、「心」を育てる保育実践で大切な点が描き出されています。保育者以外のまなざしで書かれた記録のもつ意味を、考えさせてくれた実践記録だったと思います。
山梨大学教授 加藤繁美