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絹ふたば文化幼稚園 島 春美
心をつなぐバトン
運動会の競技で一番白熱するのは年長児が全員参加する、クラス対抗リレー。子どもたちが一生懸命走る姿、友だちを応援する姿は保護者も私たち保育者も感動する。何よりも一人ではなくみんなで力を合わせる体験は、子どもたちの心が大きく成長するきっかけとなる。本園は縦割保育のためクラスの年長児は十六名から十七名、AチームとBチームの二つに分かれてリレーを行っている。このチーム編成や走る順番が勝敗に大きく関わってくるのだ。何度も何度もリレーの勝負をし、どうしたら順位が上がるのか・・・優勝できるか・・・子どもたち同士で話し合う時間を作り、作戦を練っている。そして毎年様々なドラマが生まれているのだ。
昨年のたいよう組には、発達障がいがあるH子がいた。お絵描きやピアニカ、うたったり踊ったりするのが大好きな女の子。自分から走ってあそぶことはあまりなく、鬼ごっこなどの集団あそびは保育者と一緒に参加し、途中で飽きて遊具などであそび始めることが多かった。H子が少しでもリレーに興味が持てるようにクラスで早めに取り入れた。一学期はバトンを振り回すことを楽しみながらトロトロと走ったり、トラックの中に入ったりすることが多かった。何度か体験すると、途中で止まりながらも何とかトラックを一周するようになった。
二学期に入ると、Aチーム・Bチームに分かれて他のクラスと勝負する機会が増えた。体を動かすことが好きで、自由あそびでもよくリレーをしていたR男とD男が「アンカーをやりたい」と立候補した。その二人を中心にAチーム・Bチームに分かれたり、走る順番を考えていたこどもたち。
しかし、H子はバトンをもらって少し走り出してもすぐに止まってしまうことが多く、Aチームはいつも最下位だった。しかも他のクラスのアンカーが既にゴールした後に、たいよう組のアンカーのR男がバトンをもらって走り出す(つまり周回遅れ)ことが続いた。Bチームには学年で一番走るのが速いA子がいることもあり、七クラス中二位か三位、時には一位になったこともあった。Aチームのメンバーはリレーをやることを知ると、表情が曇るようになってしまった。アンカーのR男は誰よりも悔しそうな顔で走るようになってしまった。それでもH子を責める子はひとりもいなかった。
どうしたらH子は走るのか・・・AチームもBチームの子どもたちもみんなで考えた。「特訓する」「誰かが手をつないで一緒に走る」という作戦が子どもたちから出た。すると次の日からアンカーのR男とD男がH子の手を引いて園庭に出て行く姿が見られた。何とかして走って欲しいという想いが伝わってきた。同じチームのメンバーだけでなく、BチームのD男がAチームのために一生懸命になっている姿が私の心に響いた。たいよう組みんなでひとつのチームなんだということを子どもたちも感じていたのだ。特訓が始まって数日たったある日、ゆっくりではあるがH子は立ち止まらずに次の子までバトンをつないだ。R男とD男の頑張りがH子に伝わった瞬間だった。Aチームのメンバーは「H子が止まらないで走った!」と大喜びだった。応援していたBチームも「H子すごいね」と同じくらい喜んでいた。友だちのことを自分のことのように喜ぶ子どもたち。そのことが私は何よりも嬉しかった。
二つ目の作戦も子どもたちは実行した。いろいろな子がH子の手を引いて走り、みんなで考えた結果、年中のときから同じクラスだったS子が一緒に走るのが一番速いということになった。少しずつペースは速くなってきたものの、R男が周回遅れでゴールするのは変わらなかった。リレーの後にみんなで作戦会議することが続いた。私は考える内容が変わっていたことに気づいた。以前までは「H子はどうしたら走るか」だったが、今は「R男が他のクラスと勝負出来るようにするためにはどうしたらいいか」になっていた。H子のために「僕がAチームに力を貸す!」と自らチームの交換をすると言う子もいた。もちろんBチームのD男もAチームのために快くメンバー交換をした。
運動会を週末に控えたある日、S子と手をつないで走ることに慣れたのかH子のペースが速くなった。今までの作戦会議でメンバー交換をしたこともあり、最下位ではあるがもう少しのところでR男が他のクラスと勝負できるようになってきた。しかしAチームは速くなってきたが、Bチームは順位が下がっていた。D男も悔しそうにしていた。その日の話し合いでは、今まであまり意見を言わなかったR男が口を開いた。「Bチームで一番速い人がAチームに入って欲しい・・・」涙ながらに話すR男にみんな驚いていた。Bチームもこれ以上順位が下がってしまうのではないかと心配していたと思う。しかし今まで他のクラスがゴールしても諦めずに最後まで走りきっていたR男の姿をみんな知っている。反論する子は誰もいなかった。ずっとBチームで走っていたA子の心を揺さぶった。R男がA子の前に行き「Aチームに入って」と言うと、A子もうなずいた。D男は二人をしっかりと見つめ、何も言わなかった。一人がみんなのために、みんなが一人のために・・・そんな子どもたちのやり取りから心の成長を感じた。
次の日、A子が加わったAチームのリレーがスタートした。第一走者で走ったA子はトップで次の子にバトンをつないだ。Bチームの応援も熱く、大きな声援が聞こえてきた。いよいよH子がバトンをもらった。S子が手をつないでいたが、今まで以上に走ろうとする気持ちが強く、しっかりと大地を蹴っていた。H子は自分で手を伸ばし、次の子にバトンをつないだ。他のクラスとの差はほとんどなかった。最終走者のR男が勝負できるようにバトンをつなごうという想いが伝わってきた。アンカーのR男に六位でバトンをつないだ。初めての勝負に生き生きとした表情で走る、R男。たいよう組みんなの気持ちがこもったバトンを持ってトラックを駆け抜ける。Bチームはもちろん、他のクラスもたいよう組の応援をしてくれた。ゴールした瞬間のR男の嬉しそうな顔が今でも忘れられない。D男もR男のところに駆け寄り、二人で喜びを分かち合っていた。リレーはクラスが二つに分かれるが、たいよう組はみんなの気持ちがひとつになり、バトンに想いを込めてつないでいた。ひとつのチームだったと思う。運動会当日は観客の力も加わり、Aチームは二位Bチームは五位だった。
諦めない大切さをみんなに教えてくれたR男。自分のことだけではなくみんなのためにチームを変えて走ったA子。みんなの気持ちを感じながら、いつも以上の力を発揮したH子。自分のチームよりもR男の気持ちを考えて行動したD男。友だちを一生懸命応援し、どんどん速くなるAチームを全員で喜ぶ、たいよう組のみんな。何度も何度も走りバトンをつなぐ中で、みんなの心もつながった。リレーを通して心も体も成長し、心に残る体験となった。卒園式の日にクラスの年長児からメッセージカードをもらった。家でお母さんと一緒に作ったものだ。D男のメッセージカードには「年長になって嬉しかったことは?」「R男がうんどうかいのれんしゅうではひとりではしっていたけど、ほんばんでみんなとはしれたことがうれしかった」と書いてあった。心の成長を誰よりも近くで見守ることができる、保育者という職業は本当に幸せだと改めて思った。
受賞のことば
毎年、運動会のリレーでは様々なドラマが生れます。たいよう組の子どもたちは、みんなが一人のために、一人がみんなのために行動していました。誰かに教わったのではなく、自分で感じて自ら行動する姿、ひとつのことに一生懸命になる姿は周りの人たちの心も動かす…と実感した出来事でした。 子どもたちの心の葛藤を手にとるように感じ、壁を乗り越えた瞬間、達成感に満ち溢れた表情をすぐ側で見守ることのできる保育者は、本当に幸せな仕事です。たいよう組の子どもたち全員にこの受賞を捧げたいです。 この度は、ありがとうございました。
講評
非常に印象に残る作品でした。まるでモデル小説を読んでいるような見事すぎるドラマティックな作品という思いも審査員一同にはありました。しかし、縦割り保育の良さを生かしたクラス対抗リレーを通じ、グループや一人一人の子どもたちの心をつなげていくプロセスが生き生きと描かれた保育の記録は、心を動かすものがありました。発達障がいがあるH子をリレーメンバーの一人として尊重し、R男、D男、S子、A子らを中心に、クラスの皆の気持ちが一つとなり、当日のリレーにその成果が結集されていきます。
保育者が日頃どのように子どもとかかわり、子どもたちを信じ、支え、時に導いてきたかについてふれていただくと、保育の意義がより深まっていくように思いました。
網野武博(東京家政大学教授)