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私立幼稚園預かり保育 平澤順子

心のキャッチボール

 「あっ、ごみ収集車だ。」園庭に出るためRに靴を履かせていると、外遊びをしていた子どもたちが大声で叫んだ。それを聞きつけたR(1歳6か月)は、「うんっ、うんっ。」と外を指さした。いつもなら保育者に履かせてもらうまで待っているのに、この時ばかりは自分で懸命に靴を履こうとしてもがいていた。「ごみ収集車だね。見に行きたいの?」と私が尋ねると、Rは「うん」と力強く頷いた。
 私が預かり保育に関わり始めて1か月余りが過ぎたころのことで、Rをはじめ子どもたちの興味の対象を少しずつわかりはじめていた。そのため、Rが日頃からごみ収集車に並々ならぬ興味を抱いていたことは把握していたのである。そこで私はRの気持ちを汲み取り、靴を履かせてやると、急いで外へ飛び出して行った。Rはフェンスに顔を張り付け、食い入るようにして見入っている。清掃士がごみを車に投げ入れ、スイッチを入れるとごみは回転しながら内部に吸い込まれていった。その度にRは、「おーっ、おーっ。」と声を上げながら指さしを行った。それはまるで「すごいね、すごいね」と感動しているかのようであった。ごみ収集が終わって清掃士が運転席に移動すると、Rは元気に「ばいばい」と手を振った。園を去っていくごみ収集車を名残惜しそうにいつまでも手を振っていたが、車が見えなくなると諦めて砂遊びを始めた。

 それから十数分後、園の向かい側の地区を収集するため移動したごみ収集車の音がした。園は高台に建っており周囲は樹木で覆われているため、園からはその地区を見渡すことはできないし、当然ごみ収集車も見えないのである。だが、その音を聞き分けたRは遊んでいた玩具を投げ捨てると、車の音がする方向を指さし「あーっ、あーっ。」と必死に何かを訴えている。Rはふと自分の様子を近くで見ていた私の存在に気付くと手をつかみ、「あっ、あっ。」と音のする方向を再び指さし私の手を引っ張った。「なあに?どうしたの?」とRに聞くと、「あっ、あっ。」と、音のする方向を指さした。私はその音の正体を知ろうとし、Rが指さす方向に耳を傾けた。そして、「わかったR君、またごみ収集車だね。行ってみたいの?」と尋ねた。Rは「もちろんだよ」と言うように「うん」と頷き、音のする方を指さした。

 Rは一回目のごみ収集車を見終わった後砂遊びを始めていたが、遊びながらも彼の頭の中では、今目の前で見たごみ収集車の迫力を自分の中で何度も思い返していたのではないだろうか。だから彼は、ごみ収集車が他の地区に移動していく音をずっと耳で追っていたに違いない。その音が止まったことに気付くと、Rはもう一度みたいという思いが高まった。そこでその思いを一刻も早く実現させたいと思ったRは、近くにいた私の手を引っ張り、必死に自分の思いの丈を指さし行動を用いて訴えているのだろうと、私は見て取ったのである。ごみ収集車が行ってしまう前にもう一度見せてやりたいと思い、Rを抱いて急いで音を手がかりに、Rの指さす方向へ走っていった。ごみ収集が終わって車が行ってしまったら、Rの思いは萎んでしまうことになると思ったからだ。垣根越しからごみ収集車を見つけたRは、「ああーっ」と身を乗り出した。あたかもそれは、「やっぱり自分の考えていた通りだったでしょ。」というように、確信に満ちた感動の声だった。ごみが投げ込まれ、それらが回転し内部に吸い込まれていく度にRは、「あっ、あっ」と指をさす。ごみ収集を終えた清掃士が車に乗り込むと、「終わっちゃった」と言わんばかりに、「あーあっ」と落胆した声を出した。「ごみ収集車、行っちゃったね」とRの顔を覗き込みながら言うと、Rは寂しそうに「うん」と小さく頷いた。筆者とRは走り去るごみ終車の後ろ姿を共に見送った。

 前言語期の子どもたちの遊びの様子を見ていると、Rに限らず「指さし」を用いて自分の要求や欲求を伝えようとしたり、関心のある対象に他者の注意を向けようとする時がある。つまり「指さし」という一つのコミュニケーションツールを用いて、自分の考えを他者に伝えようとして行動で表しているのであり、私自身そういう場面に数多く出会ってきた。しかし今までは、子どもたちが取って欲しい物を手渡してあげるだけだったり、子どもの指さし行動を言葉に置き換えてあげるだけであったことに気付いた。もちろん幼児の遊びを見守り援助する立場の保育者は、こうした前言語期の子どもたちが行う指さし行動を汲み取って言葉に置き換えてあげたり、要求を満たしてあげることは大切だ。しかし私はRとの体験を通して、それだけでは不十分だと考えるようになった。つまり子どもたちが行う指さしは、各々の思いを指に託して伝えようとしているのであり、その思いを保育者など親しい相手と共有することが大切ではないだろうか。そしてそのためには保育者が、指さしだけではなく様々な表現も含めて子どもの思いを汲み取り、フィードバックしてあげることが大切だと考えるようになったのである。また子どもが保育者と自分の思いを共有し、心理的にも繋がったという経験をすることは、保育者との間に信頼関係を築くことにもなるのではないだろうか。

 実際Rをみると、ごみ収集車における関わり以降に変化が見られ始めた。ある時戸外に出たRは、自分の興味のある蟻を見つけた。するときょろきょろ周囲を見回し、私と目が合うと「あっ、いた、いた。そこにいたじゃないか」というような顔をして手招きをした。「どうしたの?何かいたかな?」とRに問いかけると、「あり」と覚えたての言葉で答えてくれた。「そうかあ、R君はそれを先生に知らせたかったの?」と確かめると、「うん」と言って頷いた。その日の午睡時になると、Rは蟻の絵本を読んでくれとせがんだ。午前中の外遊びで見た蟻の印象が鮮明に残っているのかと思い、布団に添い寝をしながらページをめくった。Rは興奮しながら、「あり、あり」と、蟻の姿を指で追っていく。「公園でもいっぱい蟻さんがいたね。」と話しかけると、その時の情景を思い出すように「うん、あり」と嬉しそうに答えた。「また蟻さんを見に行こうね。」と言うと、満足気に微笑み入眠したのである。

 また、Rが1歳7か月になると、自分の興味のあることを共有したいときには私の姿を見つけると「ぽん」と背中なりを叩いて知らせるようになった。さらに「おいで」と言えるようになると、「おいで、おいで」と言いながら手招きをするようになり、二語文が話せるようになると「こっちおいで」と誘いに来るようになったのである。
 こうしたRの行動の変化は、私との間でごみ収集車を媒介として繰り広げられた体験が大きく影響しているのではないだろうか。それはRが投げかけた問いを私が受け止め、またRに返してやるという、いわば心のキャッチボールであったように思う。それによりRは、私という他者に自分の思いを受け入れてもらったという体験をすることができ、この人なら自分をわかってくれるという信頼関係を築くことに繋がったと思われる。
 子どもはどのような方法で何を感じ、何を知ろうとしているのか、つまり一つひとつの子どもの行動をどのように見ていくかによって、保育者の働きかけは違ってくるだろう。だからこそ、子どもの一つ一つの行動を意味ある物と捉え、それを子どもに返してやることが子どもを理解することに繋がるだけでなく、子どもに学びの機会を保障してあげることになるのだということを、Rとの体験を通して私は感じたのである。

受賞のことば

この度は素晴らしい受賞の機会を頂きありがとうございました。
私は、子育てと大学院での学びを経て、15年ぶりに実践に戻りました。この双方での学びを通して得たことが、現在の保育における子どもの理解の大いなる助けとなっております。15年前には何気なく見過ごしてきていた子どもたちの行為の一つ一つが、現在は意味あるもの、子どもたちの言葉にできない「表現」として捉えることが出来るようになってきたからです。この度の受賞作品「心のキャッチボール」も、そうした私の子どもに対する視点の変化が生み出したものと言えるでしょう。これからも子どもたちの心からのサインをキャッチできる自分であり続けたいと考えております。

講評

 幼稚園の預かり保育の実践です。1歳半の子どもの、指さし要求"ごみ収集車を見たい"という思いをしっかり受け止め対応したことで、その後、興味あることを共有したい時はいつもその保育者の背中をたたくなどして知らせるようになったという、この時期の三項関係の重要さを実証した記録でした。まだ言葉で自分の要求を伝えられないこの時期の子どもにとって、指さしに代表される三項関係の成立は ①同じものを見つめ心を通い合ってくれる大人の存在がいかに大切か ②自分の要求を分かってくれる大人には自己発揮を強め、理解されてうれしいという相互信頼を強める要因になること を明らかにしてくれました。これまで3歳未満児の記録が少なかっただけに発達を捉えた貴重な実践記録になったと思いました。
今井和子(「質の高い乳児保育を目指す実践研究会」代表)