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双葉学園 絹ふたば文化幼稚園 野口亜由美

「T男は楽しいことを見つける名人!」

 幼い頃から夢であった、「幼稚園の教師」になり、今年で4年目。今年度、私は年少クラス、うさぎ組の担任を任された。たった4年の経験ではあるが、年少クラスを受け持つのは、今回3回目である。これからどんな子どもたちが入園してくるのか心待ちにし、入園式を迎えた。
 開花が早く、桜がもう散ってしまった今年の4月。体よりもちょっぴり大きな園服を身にまとい、保護者と手を繋ぎながら、幼稚園の門をくぐり、うさぎ組にやってきた29名の子どもたち。「ママー!」と泣き叫ぶ子や、早くもおままごとコーナーで、友だちと遊びあう子。一人ひとりが不安と希望を持ってクラスにやってきた。その中で、気になったのがT男であった。目に映るもの全てに興味を示し動き回るT男に対し、母親も必死でT男を追いかけていた。「なんか気になる…」それが私の中のT男の第一印象であった。
 そして迎えた登園初日。想像していた通りの涙の嵐…。私の声よりも泣き声の方が響いている状態であった。「ママはどこ?お家に帰りたい。」と泣き叫ぶ子どもたち。そこへ気になる存在のT男が登園してきた。私はすかさず「おはよう」とT男に声を掛けるが、挨拶は帰って来ず、視線も合わないまま。園庭のトラック周のラインの上を、通園リュックを背負ったままひたすら歩いていた。私はこの時、ますますT男の事が気になり、「もっと知りたい」と思うようになった。職員室でもT男が気になると、終礼の際に名前が出るようになり、園全体でT男の事をフォローしていこうということになった。
 それから数日が経ち、新入児の家庭訪問がはじまり、T男の家にも伺うことになった。T男の家に行くと、裸足のまま庭に出て遊ぶ姿があった。「Tくん、こんにちは。」と声を掛けると不思議そうに私の顔を見つめるT男に対し、母親は「T男、挨拶しなさい!」と、少し怒った表情で話し掛けていた。T男の家の環境は、近所に同年代の子どもも少なく回りは田園に囲まれた、のどかな環境であった。そして、T男の様子を伝えながら家での様子を聞いていくと、「とっても楽しそうに通ってくれているので、私も安心しています。」とT男の母。「何か不安なことはありますか?」と尋ねると、言葉を詰まらせながら母親は、「実は保健センターでの検診の時にショックなことを言われてしまって…」と、目に涙を溜めながら、話してくれた。「自閉傾向にある」と、市の相談員は母親に伝えたかったのであろう。だが、母親はその言葉を、受け止められずに、今までT男と過ごしてきたようであった。そんな中でも、少しずつT男と向き合いながら、家では絵カードを取り入れ、テレビを出来るだけつけずにT男と遊んできたりしたという話であった。
 家庭訪問を終え、幼稚園に戻り園長に家庭訪問の内容を報告した。私は「Tくんについてもっと知りたい。お母さんの心の支えに少しでもなれたらな…。」と考えた。
 私自身、「自閉症」への知識も少なく、T男との関係もかなりの距離があった。そこで「まずはTくんに自分の存在を知ってもらおう。安心できる存在になろう!」と、心の中で誓った。
 だが、まだ入園してまもない子どもたち。不安で泣いている子も多く、普段の保育の中で、T男と1対1でずっといることは厳しい状況であった。そこで、毎朝挨拶を交わす際に、タッチとハグを必ず行うこと、クラスの降園後、T男のバスが来るまでの時間を1対1で過ごすことにした。
 はじめは、私が「Tくん、おはよう!タッチ、ギュー!」と言っても、目も合わせず興味を示してくれなかった。そんなある日、降園時間後のバスを待つ間、クラスで作った風車を手に取り、T男とテラスで遊ぶことにした。すると、嬉しそうに風車を手に持ち、「だおだお」と言い、T男自身から抱っこを私に求めてきた。T男の要望に応え、抱っこをし、「よーいどん!」と走ると、今まで見せたことのない笑顔で、きゃっきゃと声を出して笑うT男の姿が見られた。そして、「もっかい、もっかい」、「よーいどん!」と一緒に遊ぶことを楽しむようになった。その出来事がきっかけとなり、その日からT男との距離がどんどん近くなっていった。
 私の姿を見つけると、「よーいどん!」と言い、駆け寄ってくるT男。その「よーいどん!」は、私に「ぼくと一緒にあそぼう!」と言っているように聞こえ、とても嬉しかった。
 入園から2か月が経ち、クラスも少しずつ落ち着き始めていた。相変わらす、T男は自由気ままに、自分の好きな遊びを楽しんでいた。そんなT男に対し、クラスの子どもたちも何かを感じているようだった。
 ある日、クラスで朝の会を行っていると、T男はいつも通り、テラスで自分の好きな水遊びを楽しんでいた。そこで無理やり、保育室に連れ戻そうとする、H男とA子。それを嫌がり不機嫌そうな顔を浮かべるT男は、H男たちの手を振り切り、引き続き水遊びを楽しもうとする。ある日、同じクラスのH男から、「なんでTくんは遊んでいていいの?いつもどこかにいっちゃうんだよ。」と訴えてきた。私は、言葉に詰まりながら、クラスのみんなに話した。「Tくんはね、どこかに行っちゃうんじゃなくて、楽しいことを見つけに行っているんだよ。」と答えた。すると、「そっか。だからいつもいろんなところに行っているんだね。Tくんは楽しいこと見つけるのが好きなんだよ。」とA子が答えた。その日から、クラスの中で、T男を「楽しいことを見つける名人」と思うようになった。すると、クラスの子どもたちのT男に対する接し方が少しずつ変わっていった。
 それまでは、T男に対し「どっか行っちゃう!」と口々に言っていた子どもたち。その日から、「遊びに行っちゃったね。何か楽しいこと見つかったかな?」と…。すると、T男自身にも少しずつ変化が見られるようになった。
 ある日、昼食で私がコップで冷たいお茶を飲んでいると、T男がそれに触れ、「つめたーい」と感覚を楽しんでいた。そこに、M子が「冷たいだって!」と反応すると、T男が私の手を持ち、コップをM子の頬に当て、「つめたーい」と共感を求めた。M子も、「本当につめたーい!」と、T男の反応を真似ると、嬉しそうに私の顔を見つめ、周囲の子にも同じことをした。T男が初めて、自ら友だちと関わった瞬間であった。
 この出来事を母親に話すと、目に涙をため、「嬉しいです。」と話していた。それに続き「いろんなお母さんたちから、T男の話を聞くんです。T男が、こんなことしていたんだとか、お家でT男の名前が出てくるとか…。幼稚園に入園してから、言葉もたくさん増えて、発音もはっきりしてきました。子どもの集団の力ってほんとすごいですね。先生、ありがとうございます。」その言葉を聞き、「集団の力」を改めて考えるきっかけになった。
 人は、決して一人では生きられない。それは、子どもも大人も同じ。子どもたちにとって初めての集団生活は、不安からのスタートだと思う。だが、その中でたくさんの事を学び、友だちと遊ぶ楽しさを知る。今、まさにT男はそのスタートラインにいる。その背中を見守りながら、後押ししていけたらなと考える。そして、T男を通してクラスももちろん、私自身を含めて、これから全員で成長しあい、うさぎ組を作っていきたいと思う。
 T男とうさぎ組と出会い、改めて自分の保育を見つめ直すきっかけともなった。今、うさぎ組と過ごす毎日が楽しく、幸せを感じている。
 T君、うさぎ組のみんな。私と出会ってくれてありがとう。これからもよろしくね!

受賞のことば

 T男との出会いをきっかけに、幼稚園とは子どもたちにとって、どんな場所であるべきかを改めて考えるきっかけにもなりました。子どもたちが迎える初めての集団生活。大切な初めての経験にかかわれて、日々の成長をすぐ傍で見守ることが出来る、幼稚園の教師は本当に素晴らしい仕事だと実感しています。

 そして、うさぎ組の子どもたちに出会うことが出来た私は、とても幸せです。日々成長している子どもたちに負けないくらい、自分も成長していきたいです。

 今回の受賞を通して、私を“先生”にしてくれた子どもたち、保護者の皆様、そして支えてくれている全ての方々に感謝の気持ちを伝えたいです。

 この度はありがとうございました。

講評

 T君との関係づくりに保育者が、「なんでTくんは遊んでいていいの?」というH男から出てきた偶然の問いかけに、「Tくんはね、どこかに行っちゃうんじゃなくて、楽しいことを見つけに行っているんだよ」ととっさに応えた言葉から始まった実践記録です。「子どもへのまなざしを変えれば、保育が変わる」とはよくいわれることですが、実際、否定的なまなざしからは否定的な関係しか生まれません。おそらく、「楽しいことを見つけに行く」と語ったのは偶然の「ひらめき」だったのでしょう。でも、この「ひらめき」が保育の鍵を握る、大切な保育者の力でもあるのです。前半の冗長な記述を整理すると、もう少し説得力のある記録になったと思います。
山梨大学教授 加藤繁美