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山梨大学教育人間科学部附属幼稚園 古屋あゆみ
「くまさんのホットケーキ」
園の中庭にある大きなモクレンは、早春に毎年きれいな白い花を咲かせる。秋から冬にかけて落ちてくる冬芽の皮は、去年の3歳児、すみれぐみの子ども達にとって特別なものとなって、素敵なお話を紡ぎだしてくれた。
11月の終わり、「先生、さくらさんの裏にくまの爪があったの」とTが神妙な顔つきでやってきた。握りしめた手の中をのぞき込むと、そこにあったのはモクレンの芽の皮。先が尖って毛むくじゃらでまさにくまの爪!
「Tちゃん、それは大変なことだから後でみんなにも教えてくれる?」と小声で話すと、黙ってうなずく。
降園前、いつもとは違う雰囲気で話すTの言葉を他の子達も真剣に聞き、「くまの爪」を見るとみんなの目が丸くなる。
「くまが幼稚園に来たってこと!」YやAの表情がこわばる。「見に行きたい!」「怖い」「でも行きたい!」と子ども達。「くさいもの持っていけば大丈夫だよ」とKが言うと「ピーマンとか?」とH。Aも「納豆は?」と言い、行きたい人は明日、「くまの嫌いなもの」を持って行ってみることになった。
次の日。午前中は誰もくまの話には触れず、内心楽しみにしていた私はちょっとがっかりしていた。お弁当前になっても「もうピーマンは作ったよ」「これを投げてくまをやっつける」とHとR。二人が朝から 持ち歩いていた蓋付きの空箱には、いつの間に作ったのか、緑や黄色の折り紙を丸めたものがいくつも入っていた。
Nは「ここからスピーカーで大きな音が出てびっくりさせるんだ」と空き箱で作った武器を見せ、他の子も実はそれぞれに準備をしていたと言う。お弁当を食べてから、行きたい人だけが見に行くことになった。
いよいよ出発の時。「怖い人はお部屋に残っていてもいいよ」と話すが、「怖くない! 僕が先生を守ってあげるよ」とN。Hはピーマンの箱を持ち、Kは「これを投げると、くまは目が回る」とイチョウの葉っぱを握りしめ、Oは「これをくまにかける」とペットボトルに水を入れている。他の子達もいつの間にか、折り紙や自分の作ったもの、ぬいぐるみなどをお守りのように握りしめ、すみれぐみ全員が集まっていた。みんなが靴を履くと子ども達は走り出し、前の方からは「エイエイオー」と声が聞こえてきた。
私がやっと追いつくと、もう地面を見ながらくまの爪を探している。それほど広くはない園庭。さくらさんの裏には何度も行っているはずなのに、この時の子ども達は、ずいぶん遠くまで、勇気を振り絞ってくま探しの探検に来たような雰囲気だった。
モクレンの木の下、畑や田んぼの中を見ながら「あった!」「ここにもくまの爪!」と次々に拾っていく。池の中に落ちていた爪を見つけた子達は「くまが水を飲みに来たんだ」「勝手に飲んだんじゃない?」と言い出す。Aが「そろそろ来るかもしれないから気をつけて下さい!来たら怖いからね!」と声をかけると、子ども達の表情が凍り付く。みんなその場に固まり、「どっちから来るのか」と周りをうかがっているようだった。
その様子を見ていた副園長が「きっとくまさんみんなと遊びたいんだよ」と話すと、怖がって保育者にくっついていたMやYも顔を上げる。
O「森の方から来たのかな」「向こうのお山から来たのかもね」と副園長。中学校の校庭の向こうに見える湯村山がこちらに迫ってくるような気がしたのだろう、みんな真剣な表情になり、「怖いよ」とM。
副園長「みんなと遊びたいのかも」
A先生「かわいいくまさんかもしれないよ」
私「もしかしたらみんなみたいな幼稚園のくまさんかも」
副園長「あー、くま幼稚園から来たのかも知れないね」
そんなやりとりを聞きながら子ども達の表情は変わってきた。それまで抱いていた「大きな怖いくま」というそれぞれのイメージが少しずつ「小さな自分たちくらいのくまさんかもしれない」という感覚につながっていったようだった。
中庭に行った子達が「くまさんのごはんを作ってあげる」と言い出し、「何が好きかな?」「はちみつ!」とやりとりが出てきた。さっきまで怖がっていたYが「はちみつはどうやって作るの?」と聞いてくる。
私「どんなだっけ?」
T「あのね、あっまいの」
H「ホットケーキとかにかけるの」
私「じゃあお砂糖たっぷり入れようか」
そこでMが白い砂を砂糖にして、砂場でくまさんのためのはちみつ作りが始まった。
K達は「くまさんが遊べるように幼稚園作るんだ」と砂場に穴を掘り、「これじゃくまさん落ちちゃうかな」とビールケースや丸太で橋を作っていく。
降園前「先生、『くまさん、はずかしがらないできてください』って紙に書いて」と一番怖がっていたはずのYが言ってきた。Kは、「『くまのようちえん。くまが遊んでください』 って貼りたい」と言う。他の子も「くまさんにお手紙書きたい」と、『はちみつをのんでください』『おこらないで来てください』など、それぞれが考えたことばを保育者が紙に書き、『くまさんへの手紙』として、「くまさんが幼稚園に来た時よく見えるように……」と中庭の窓の所に貼った。
その後も「くまの爪」探しは続き、私は「くまさん」と子ども達との出会いをもう一歩楽しいことにつなげられたら……と考え始めていた。
12月の初め、爪を拾っていたKが「ここには食べ物がないから……」とつぶやいた。
「くまさんは何がいいのかな?」と聞くと、「砂のじゃだめ。子どものくまさんだから甘いものがいい」O「何がいい?」H「はちみつ」などと話しているうちに『しろくまちゃんのホットケーキ』の絵本に目が向いたKが「そうだ! 甘いホットケーキ作ってあげればいいんだ!粉と水を混ぜて……」と言い、Tは「本物のホットケーキ!ぽたーん。どろどろ……」と本の中のことばを口にしている。一緒に絵本を見ていくと、
M「粉もいるね」
Y「卵と牛乳も」と次々出てくる。
K「東京タワーみたいにしよう」
私「たくさん作るってこと?」
みんな「うん!!」
私「たくさん作ったら先生も食べたいな」
T「みんなで作ってみんなで食べよう!」
そこで子ども達が副園長先生に材料をお願いし、二日後の木曜日にホットケーキ作りをすることになった。みんな嬉しくてたまらない様子。中には待ちきれずに、築山の土に水を混ぜて、フライパンで泥んこホットケーキ作りを始めた子ども達もいた。
12月4日、いよいよホットケーキ作り。朝から楽しみにしていた子ども達は、エプロンをつけてはりきって生地をかき混ぜ、焼き上がるのを待つ間もワクワク。まずは焼きあがった順に自分たちがお味見。「あったかい!」「おいしい」ととってもいい顔。みんなが食べている間にKと一緒にくまさんの分を焼き、丸い顔に小さな耳を付け、はちみつシロップで顔を描いた。
子ども達と相談をして「ここに爪が落ちていた」とKが言った所に丸いテーブルを出し、その上にホットケーキを置くことにした。誰かが「くまさんくるかな?」「ホットケーキわかるかな?」と言い始め、Yの「『赤ちゃんくまさんだけ食べていいです』って書いて」と言ったのをきっかけに、また手紙を書くことになった。それぞれが考えた『くまさんだいすき』『くまさんかぜひかないでね』なども書き加え、みんなで置きに行った。
くま探しの時とは違って嬉しそうな様子の子ども達。最後はみんなで湯村山の方に向かって「くまさ~ん」「くまさんまた来てね」「バイバ~イ」と口々に叫んで部屋に戻った。
翌日、登園してすぐホットケーキを見に行ったKが「先生、なくなってる!!」と大騒ぎで戻ってくる。すぐにみんなも見に行き「お皿ごとなくなってる!」とK。「手紙もなくなってる」とR。「ホントになくなってる!」すみれぐみは大騒ぎ。
「くまさん来たんだ」と通りかかった先生達を捕まえて話をするTやK。R達は職員室の先生達を引っ張ってこようとする。
ケーキがなくなっていること、手紙がなくなっていること、くまさんが来たこと、それぞれが驚きを隠せない様子で、周りの先生や迎えに来たおうちの方に興奮気味に話していた。
その後も爪探しをしたり、お弁当を食べながら時折「僕たちくまさんにホットケーキあげたんだよね」などと話したりしながら、寒くなるにつれ、少しずつ子ども達とくまさんのお話は静かに落ち着いていったようだった。
年が明けて2月になってからのこと。Yが「先生、Yもくまさんの爪に触れるようになった!」とキラキラした嬉しそうな目で走ってきた。「すごいでしょ?」と言わんばかりの表情に、あの時一番怖がっていたYちゃんの中ではまだ思いが続いていたことに驚いた。やっとみんなのようにくまさんの爪に触れたことが、Yちゃんにとっては、大きな自信につながったのだろうなと実感した。
初めての幼稚園生活で、これまではそれぞれが自分の好きな遊びを楽しんできた3歳児だったが、友達の見つけた「くまの爪」をきっかけに、まるでみんなで一つのお話の中に入り込んだかのように楽しむことができた。子どもも、私たち保育者も同じ世界に浸って、一緒に響きあえたような心地よさが残っている。こんな風にして一人ひとりが友達と一緒の楽しさや、少しずつ大きくなっていくうれしさを自分たちなりの物語の中で実感できることが、その後の豊かな育ちにつながっていくのではないかと考えている。
受賞のことば
年少さんとの楽しかった出来事をそのまま記した拙い記録ですが、今回このような評価をいただけたことに大変驚き、心より喜んでおります。子ども達がいろいろなことを感じながら紡ぎだした物語であり、この子達がいてくれたからこそ生まれた実践だったと思います。これからも子ども達と一緒にワクワクドキドキしながら、一人ひとりの育ちを彩っていけるような保育者をめざしていきたいと考えています。
子ども達に温かいまなざしを向けることを教えて下さった前副園長先生はじめ同僚の先生達、園を支えて下さる保護者の皆様、そしてパワーをくれる子ども達に感謝の気持ちを伝えたいと思います。本当にありがとうございました。
講評
3歳児保育の魅力は、何といっても現実にとらわれない解放されたフィクショナルな世界に遊ぶ自由さではないでしょうか。この実践記録は、それを見事に語っています。「園の中庭にある大きなモクレンは…」という書き出しから始まり、子どもたちとのありのままの保育展開をまるで絵本をめくっていくように楽しく具体的に表現しています。保育実践は子どもも大人も共に楽しみ合うこのような生活でなくてはとしみじみ…納得です。一言、注文を付けさせてもらうならば、3歳児クラスの子どもの人数や、関わっている保育者の立場(A先生、私の立場など)明確に記述しておいた方がよかったと思います。
質の高い乳児保育を目指す実践研究会代表 今井和子