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仲よし保育園(埼玉・東松山市)大塚 綾子
「子どもの心が動くとき
~Y君の『やってみたい』を待って~」
「ボクはいいです~ 」のY君
年長組のY君は、物知りで頭の中にいろんなことが詰まっている男の子。クラスのまわりの子どもからも、“Y君は物知り”として一目置かれる存在。大人が感心するような知恵を出すこともある。
そんなY君の口癖は「ボクはいいです~」のお断りの言葉。自分の世界はしっかりあるのだけれども、それが友達と共有できるときはあまりなく、友達とのかかわりも少ない。そんなY君が気がかりで、もうちょっと仲間とのかかわりができればいいな~と遊びに誘うものの、いつも返事はあっさり涼しい顔をして「ボクはいいです」といわれてしまう。寒さや暑さに弱いので外遊びに誘っても「寒いから外はいいや……」、夏には「う~ん、暑くて外なんかムリムリ~」とこれまたあっさり断られてしまう。
このような感じで、外で思いっきり体を動かしてあそぶことが少なく、室内でひっそりと自分の好きな世界であそぶことの多いY 君に「このまま見守っていていいんだろうか」と疑問と不安がつのってしまう。しかも、年長組になると、体育的な活動も多くなり“できる”“できない”を強く意識する年齢だけにY君のことが気がかりというより、担任として正直焦ってしまう自分がいる。体を動かす前から頭で考えてしまって“ボクにはできない”と決め、すっかり引いてしまうY君にどんな支援・手助けができるのだろうか? 何事も無理やりさせるのはよくないが、少し背中を押してあげたい。でも今はその背中すらまだ向けてくれず「ボクはいいです~」のお断り状態のY君。どうしたら気持ちが動くのだろうか? Y君が“やりたい”と思えるような活動を考えなくては……。でも、内心このようなY君の思いは変わらないような気がして「無理に外遊びや友達との遊びに誘い出さなくてもいいのかな。Y君にはY君なりに物知りなど素敵な光る面もあるのだし……」と気持ちが揺れる。できることならやっぱりY君自身が“やってみたい”と寄ってきて、気持ちが動くのを待ちたい思いがあった。
忍者になったけど… …
体育的な活動をするとき、何かY君の好きなものにつなげることで入ってきやすくなるのではないか。そう考えたとき、Y君の好きな“忍者”を思いついた。忍者についてなら、本を読んでいろいろな知識をもっているY君。気持ちが乗ってくるかな? と近所のアスレチックに出かけ“忍者修行”と称して、忍者ごっこを楽しんでみることにした。
行く前は「えー!? 忍者の修行ができるところがあるの~、すっご~い!」と目を輝かせていたY君。「わあ! これは気持ちが乗っている! いいチャンス!」と私たち担任も期待に胸がふくらんだ。そして、いよいよ、アスレチックに挑戦。
「もうすぐ6歳になるから」とナンバー⑥のポイントのアスレチックを目指すことにした。クラスのみんなは、ターザンロープ、丸太のぼり、雲梯、木板とび等みんな忍者になりきって、次々とクリアしていく。そして最後の⑥のアスレチックを終えると「ヤッター、もう6歳のちび忍者だもんね~」と喜び合っていた。
そんななか、ふとまわりを見まわすと(あれっ、さっきまで②のポイントにいたY君がいない。もう⑥まで行っちゃったのかな? あっ、いたいた)。なんとY君は元の場所に戻ってのんびりと水筒の水を飲んでいた。
「あれっ、Y君もう6歳の⑥まで修行してきちゃったの?」と聞くと涼しい顔をして「ううん。もう無理だからやめた!」と。
そのとき友達がやってきて、そんなY君に言葉をかけた。
「②までしかやってないんじゃ2歳のままだよ」といわれ、「う~ん、2歳はヤダなあ~」とY君。さらに「みんなY君以外は6歳の⑥まで全部やったんだよ。みんなで6歳のちび忍者になるんじゃなかったの!?」と友達にいわれたが、「やっぱり、ボクは今日はちび忍者になれなくていいや~」とポツリとつぶやいた。すかさず友達が「“今日は”ってことは今日じゃないときにはちび忍者になりたいの?」と聞くと、「う~ん、そうだなあ~」と、いつものあっさりとした返答のY君とは何かちょっと違う気持ちのようなものを感じさせる返事だった。
「ボクもやろっかな~ 」
忍者ごっこは他の子どもたちの間でも人気で、保育園内でも外の遊具を忍者の修行に見立ててあそんでいた。そんなある日、通称「くもの巣」の遊具に上ってクラスの多くの子があそんでいると、珍しくY君が近づいてきた。
Y「何やってるの?」
R「忍者の修行」
「ボクもやろっかな~」とY君は、なんと1メートル以上もあるくもの巣ネットに上っていく。(わっ、すごい!Y君のぼれるんだ! あんな高いところも!)と思った瞬間……「ギャー!おっこちるー! 死ぬ~! ボクを死なせる気かあ~」と大パニックに。ずっと前から園庭にある固定遊具だったがY君にとってはこのとき初めて上ったもので、上ったはいいが、いざ下を見てみると相当怖かったのだろう。(せっかく遊具であそべるチャンスと思ったけれど、かえってトラウマのようになってしまったかも……)と不安に思う私だった。
数日後、Y君がくもの巣遊具のまわりをウロウロしていた。
Y「ね~え~、みんな何やってるの?」
くもの巣の上であそんでいる友達に声をかけているY君の姿。(自分から外に出てきて、友達の遊びに興味を示すなんて珍しい!)と驚く私。そっと見ていると、
Y「なんか楽しそうだねえ~」
E「うんっ! 忍者のおうちなの、こ
こ」
Y「へえ~、そうなんだー!」
E「Y君も一緒にやる?」
Y「うん~そうだな~どうしようかな
~」
E「Y君、お父さん忍者やればいいじゃ
ん」
Y「それじゃ~お父さんやろうかな~」
と表情が和らいだ。初めのうちはくもの巣の下をウロウロしていたものの、友達に「お父さ~ん」と呼ばれ、
Y「それじゃお仕事行ってきま~す」
と、なんと自らくもの巣の上へ……。それを見ていた私は、またパニックになるんじゃないかとひやひやしてしまった。
でも、くもの巣の上では少し顔がこわばっているように見えたが、しっかりとお父さん忍者役をやっていた。
以前Y君がパニックになったことを友達も知っているので、そっとまわりの子同士で「Y君、のぼれたね! すごいね」と喜び合っている姿があった。くもの巣から降りるとほっとしたように、Y「あ~、たのしかった~、また、やろうかな……」とつぶやいていた。ちょっと硬かった顔が和やかになり、少し自信がついたような(忍者のお父さん役になっていたからかな?)顔つきに変わっていた。
Y君の“やる気”を引き出した仲間たち
それから3か月が経ち、8月の夏期休暇明けのこと。
クラスのみんなで夏休みの思い出について話していると、Y君が急に大きな声で「ボク忍者修行ぜ~んぶ制覇してきたんだ~! ほら、前、途中までだったからさ!」と胸を張って伝えてきた。クラスのみんなからは「うわっ!すごーい!」「Y君すごいじゃん! これでみんな全員ちび忍者になれたねっ!」といわれ照れ笑いのY君。クラスのみんなが心から「すごーい!」と共感的に喜んでくれたことも印象的だった。
クラスのみんながY君のことをよくわかってくれていて、ひとつの成長の姿を見逃さずに認めてくれる、この仲間の思いに感動した。きっとY君にも伝わったことだろう。
最初の体験から数か月経っていたのに、しかも苦手としていたアスレチックに、休みの日におうちの人に頼んで連れて行ってもらい挑戦してきたY君の思いを想像すると、できなかったときの気持ちは決してあきらめではなく、次へつながってふくらんでいたのだと気づかされた。
Y君の変化で気づかされたことは、子どもはその子なりのやり方で力をため込んでいて、できないときでもやっている友達のまわりをウロウロして、自分にできるかできないか“見る参加”をすることで自分のちょっと先の姿と重ね合わせていること。そして“やってみよう”と一歩前に出たとき、心と体のバランスが融合して初めてできるようになり、「できた!」という本人の自信になること。この自信は、大人やまわりの人にいわれて強引にやらされたりしてつくものではなく、葛藤に葛藤を重ねた末に本人の意思で“よし、やってみよう”と決めたときに生まれてくる自信であることが分かった。
そしてもうひとつ大切だと思ったのは仲間の力。みんなが“Y君ってこんな性格の子”というY君のありのままの姿(個性)を認めていながら、少しの成長でも自分のことのように喜んでくれる温かさ、そして無理やりにさせるのではなく、その子の気持ちが動くまで待っていてくれたことが、Y君の本当の“やる気”につながったのだと思う。
日々の保育のなかで、(この子、○○できるようになるかな?)と心配になることはたびたびあるが、大事なことは、できる・できないの結果ではなく、その子の気持ちが今、どう動いているのかを感じ取り、“ 待ってみる”というプロセスと、子ども本人が“やりたいとき”を決められるような柔軟な時間を待つことだということをY君から学んだ。
受賞のことば
このたびは、このような素晴らしい賞をいただきありがとうございます。保育記録を応募するのは初めてだったので、今回の受賞は驚きと嬉しさでいっぱいです。
保育記録を書くことで子どもの本当の思いに気づくことができ、自分の保育を見直すこともできるという意味で、記録の大切さを改めて実感しました。日々の保育のなかでは、子どもの“できる”“できない”の思いや葛藤の姿に対して、どう寄り添い手助け(援助)したらよいか迷うことが多々あります。それでも今回のように子ども自身が自ら心が動くときを待ってみると、そこからその子自身がもっている本当の力が見えてきたり、まわりの仲間との育ち合いの姿も見えてくるものだと感じました。一人ひとりの子どもたちが、それぞれの輝くものをもっています。その子どもたちのもっている力を信じて、これからも子ども主体の“待つ保育”を大切にし、子どもたちと一緒に楽しい毎日を送りたいと思います。そして日々成長していく子どもたちとともに、私自身もまた子どもたちの姿から学び、保育者として成長していけるように頑張りたいです。
講評
体を動かす前に「ボクにはできない」と決め込んで尻込みしてしまうY 君の心の動きやその変化を丁寧に追った作品です。自分の世界に閉じこもりがちなY 君を見守る保育者の葛藤が具体的に描かれ、「無理やりさせるのはよくないが、少し背中を押してあげたい」と願いながら試行錯誤する様子が伝わってきます。また、Y 君のことをよくわかって励ましたり、遊びに誘ったりする仲間の存在が頼もしく、年長児としての成長が感じられます。保育者の一人ひとりの子どもへの信頼やともに育つことへの思いがしっかりとあるからこそY 君の心が動き、彼の意欲や挑戦につながったのでしょう。「今日はちび忍者になれなくていいや」とつぶやいていたY 君が今日じゃない日に家族と一緒にアスレチックに出かけ「ちび忍者になれた」ことを伝える場面は感動的です。自信にあふれ、友達と喜び合うY 君の姿に教えられ、気づかされる保育者の振り返りもまた丁寧に記されています。
日本女子体育大学准教授 天野珠路