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山梨大学教育人間科学部附属幼稚園(山梨・甲府市)北上 夏希
「カエルのために!
-つながっていった子どもの思い-」
「カエルのおしりから赤いのがでている!」というAの言葉に、担任「えー?そんなことないでしょう」と冗談半分で見に行くと、カエルはまさにA のいったとおりになっていた。AやB、CやDが不安に見ている横で担任の私の顔は引きつっていた。カエルとのこんな偶然の出会いから、さくら組とカエルの物語が始まったのだ。
1.カエルとの出会い
夏の初め、5歳児さくら組は空前の生き物ブームが起こっていた。
6月5日、今日も中学校の裏庭でB、E、A、C、Fがバッタを探している。担任が見るたびに、虫かごにはバッタが増えていく。E「このバッタ(ひとりで)かわいそうだから今日バッタつかまえにいく!」とはりきっていた。草むらを揺すっては飛び立つバッタをつかまえる。これはもう職人技だ。この他に裏庭で見つけたバッタや、池で見つけたイモリ、アゲハチョウとさまざまな生き物に興味を抱き、不思議そうに夢中に真剣に向き合う姿が見られるようになってきた。そんなある朝、Aが大事そうに手の中に入れて連れてきたのが、登園中に見つけたというカエルだった。小さくて緑色のカエル。登園するなりAは「先生、かごある?」とあいさつもそっちのけでカエルに夢中になっている。まずは小さい虫かごに入れていた。B、D、G、Eが興味津々で虫かごを覗き、誰もがさわりたがった。「おれのなんだから」といいながら、Aはカエルをかごから出したりしていた。(担任は「逃げなきゃいいんだけどな」と思いながら過ごしていたのだった。)
2.カエル大捜索
6月11日やっぱり事件は起こった。A「先生、おれのカエルが……」。担任が「どうしたの?」というと、中庭の砂場へ担任の手を引いて連れて行く。A「さっきここにうめて、手だけ出してたんだけど…… どっかいっちゃった……」担任「え!? うまっちゃったのかな?」そのとき「どうした、A!」とGが近寄ってきた。事情を話すとふたりはスコップで砂場を掘り始める。その姿を見たBやHも加わり必死で掘り始めた。そして、カエルを探していたはずが、いつの間にかあちこち穴が開き大工事になった。「何?」「私も!」と続々と人が集まってくる。そしてカエルの大捜索が始まった。水を流し、穴を掘り、子どものなかに次第に役割ができて手際よく工事が進んでいく。しかしカエルは出てこない。担任は逃げたと思うが、子どもはカエルを探すのに夢中だ。
その様子を遠くでしばらく見ていたI。Iは穴掘りが得意だ。ここで活躍してほしいと思い誘ってみたが、担任の誘いには乗ってこない。するとBが「穴掘り名人来て!」(怒っている様子。見つからなくてイライラしているのかな。)I「いいよー!」とうれしそうに加わっていった。(そうだよな、Iは本当は入りたかったよね。)この後も、カエル大捜索は続いたのだが、結局見つけることはできなかったのである。
この大工事の団結力は今までに見たことのないものだった。担任が声をかけるのもためらうほどだった。「生き物への興味」と「カエルの行方不明事件」とが重なり、一丸となって捜索していく子どものパワーが生み出されたように思えた。結局カエルは見つからなかった。が、みんなそれぞれが納得するまで掘り、最後には、もう満足そうな顔をしていた。
しかしさくら組は、カエルのいない生活にすっかり意気消沈の日々を過ごすことになった。
そして、数日後。
「いたー!!!」幼稚園に大きな声が響いた。「何事?」と声のする方へ子どもたちが集まり出す。「いたいた」「見つけた」といいながら、声を出した子の手の中をのぞき込んでいる。中にいたのは小さなカエル。なんと中庭で発見したのだ。子どもたちは大喜びで、再び飼うことにしたのだった。
どうやって飼うか、何が必要か、子どもとくり返し話をしていった。担任として私はみんなと一緒に探したあの一体感を大事にしたいと直感的に感じた。そう思い、子どもの言葉を待った。
4月のときは、クラスに居場所がなかったり、自分の主張だけしたりする姿があちらこちらで見られた。どうやってクラスの仲間とつながることができるのか、どのようにしたら35人が心地よく過ごせるクラスになるのかをずっと悩んできた。だが、生き物を通して少しずつ、友達同士がつながり合う心地よさを感じている。「カエルのために!」という思いがあれば、もっと子どもたちがつながっていける!そう感じた。そのために、子どもの「もっとやりたい」「どうしてもやってみたい」という気持ちを大切にしていきたいと思った。
3.カエルを飼いたい!
6月18日「飼いたいんだ」Dははっきりと言葉にした。私はドキドキしながら、「じゃあどうするの? 何か入れなくていいの?」と言葉をかけると、Dは中庭から摘んできたマーガレットをカエルの水槽に飾っていた。担任「え? これでいいの?」D「もう、いいってば!」とそういって虫の図鑑を再び見始めた。みんな水槽にはりつくようにカエルをうれしそうに見ている。大人が思っている常識とは違う。ここは、子どもに任せよう。Dの言葉を信じてみようと思った。
4.カエルのために―つながった子どもの思い―
ようやくカエルが戻り、子どもとカエルの生活が再び始まった。そして、冒頭の姿に戻るのである。
A「先生なんかカエルのおしりから赤いのがでている!」という言葉に、担任「えー? そんなことないでしょう」。半信半疑の担任が見に行くと、まさにAのいったとおりカエルのおしりから赤い粒がでている。じっと見つめているAやB、CやD。するとひとりが「ちょっと聞いてくる」と職員室に行った。どうやら困ったときにはいつも助けてくれるY先生に調べてもらったらしい。一枚の紙を持って来た。担任「だ……脱腸?」。どうやらさわりすぎて、腸がでてきてしまったらしい。さらに読むと「綿棒でおせば治る?」。それを聞くとBは、「綿棒もらってくる!」とすかさず出て行った。
担任「え、ちょっと誰がそれをやるの」
子どもたち「先生だよ」
さも当たり前かのような視線が怖い。先生やってくれるんでしょうという期待の目も混ざっている。「もらってきたー」と勢いよく戻ってきた。よしやるぞと心に決めてやってみる。
担任「Dくん、カエル押さえて、絶対離さないで」
D「わかった!」
任せておけという気迫で、Dはカエルを押さえる。そして綿棒で押してみるがカエルの腸は風船のようで破けそうだ。
担任「だめだなー、こりゃ」
A「病院つれていく? どうしようか……」
C「わかった! 幼稚園にも病院あるじゃん! なぎさ病院!」
まさか…… と思った予感が的中した。いつも子どもがケガや病気のときに駆け込む保健コーナーの「なぎさ病院」のことだ(たしか養護のN先生カエル嫌いだったはず)と思いながらCが保育室を出て行くのを見送る。
しばらくして、N先生は眉間にしわを寄せ、Cに連れられてやってきた。
担任「脱腸しちゃったんです」
N先生「ね? 聞いたよ。治せるかな。カエルでしょ? 人間じゃないからな」
さくら組が見守るなか、カエルの手術が始まった。綿棒で押してみるが、やっぱり入らない。
担任「じゃあ、先生があとでやってみる」
N先生もできないなら先生もできないよという表情と、絶対やってね! 治してあげてね! という表情の子どもたち。子どもが帰ったあと手術しようと思って、この日子どもたちは帰園した。
子どもが帰ってから掃除していると、なんだか膨らみが小さくなったように見えた。「まさか自然に治る?」と担任と副担任2人でいいながら、しばらくして覗くと赤い所がなくなっている! これはみんなが喜ぶ! と私もうれしくなった。
そして、次の日。元気に走ってBが登園してくる。B「先生、カエルどうなった!」担任「それがさ治ったんだよ! お部屋にいってみてごらん」というと一目散に保育室へ走って行く。DもAも、G もみんなが走ってきた。「やったー!」「治ったー!」「先生どうやったの!」と大喜びである。
昨日、みんなお家でもカエルが脱腸したことを話したらしい。何人もの保護者から「カエルどうなったんですか?」「チョウチョがでてきたってどういうことですか?」と聞かれた。「脱腸」を「チョウチョ」と伝えた猛者までいたようだ。それはおもしろすぎる!
この日クラスみんなが『カエル脱腸』事件に向き合っていた。直接見ていない子どももこの話題は頭に入っている。写真で一日の出来事を伝える「おもしろニュース」で取り上げたり、「カエル脱腸」の話が、じわじわとクラスに広がっていったりしたのだ。こうやってクラス全体がカエルの緊急事態に向き合い、考えた。そうだ、さくら組がカエルを救ったのだ。これは、子どもたちのなかでどんな意味をもったのだろう。
さくら組は、ますます生き物に対しての思い入れを深めていった。そしてこの事件を通して生き物に対するまなざしや愛おしさが一段と強くなったように感じられる。生き物をさわる手、見るまなざしが温かいものに包まれているような感じがするのだ。そして何より「カエル脱腸」をクラスで共有したことで得たものは大きい。とんでもないハプニングに出会い、それを互いに伝え合いながら、子どもが顔を寄せ合い、みんなで乗り越えてきた。だから共有できる思いが子どものなかに生まれてきたことが感じられたのだ。
その後、この経験は「虫の標本作り」へつながっていった。死んだ虫さえも愛おしく大事にしておきたい子どもの気持ちが「虫の標本作り」への関心を生み出していったのであろう。さくら組には、壁にぶつかったときに、どうしたらいいのか、どうやったら乗り越えられるのかを考える力が育ってきている。これから先ハプニングや事件に出会うことがあっても、ここで経験したことが次へジャンプするときに役立つはずだ。そう信じ、今もまた楽しい日々は続いている。
受賞のことば
このたびは、素敵な賞をいただき、本当にありがとうございます。驚きと感謝とで胸がいっぱいです。
初めて5歳児の担任になり、不安や迷いだらけのスタートでした。しかし、何よりも私に力をくれたのは『さくら組35人』の子どもたちでした。心地よく過ごせるクラスになってほしいそんな思いで毎日奮闘してきました。たくさん笑って、たくさん話をして、泣いたり、怒ったり、数え切れないほどのアクシデントのある日々ですが、笑いが絶えない明るいクラスです。そして、彼らは自慢の心温かいやさしい子どもたちなのです。そんな子どもたちとの珍事件とも呼べるこの記録は、「さくら組の楽しい物語を伝えたい」という一心で書きました。カエルとともに歩んださくら組の足跡が物語となって、皆様に伝われば幸いです。
子どもとの生活を温かく見守ってくださる保護者の皆様、子どもの愛おしさを語り合える園長先生、そして、職場の仲間に感謝しながら、さらに驚きと感動に満ちあふれた素敵な日々をさくら組の子どもたちとともに過ごしていきたいと思います。本当にありがとうございました。
講評
カエルをめぐる事件で、子どもたちがどうやったら乗り越えられるのかを考え合い体験を深めていく過程をとらえた保育記録です。子どもとともにつくる園生活は、いつ何が起こるかわからないところがあり、保育者にとってみるとハラハラドキドキの連続ですが、子どもたちにとってみると、ワクワクドキドキの連続であり、心揺さぶられる体験を通して、ものや人とのかかわりを深めることができる場のようです。この保育記録を読んでいておもしろいところは、子どもたちと保育者とのやりとりです。子どもに綿棒を渡されて、「私がやるの?」と思いつつも、筋書きのないドラマに参加していく保育者の対応に、子どもとともにつくる園生活における保育者の姿勢を読み取ることができます。
國學院大學教授 神長美津子