日本で唯一の動物園ライター。千葉市動物公園勤務のかたわら全国の動物園を飛び回り、飼育員さんたちとの交流を図る。 著書に『ASAHIYAMA 動物園物語』(カドカワデジタルコミックス 本庄 敬・画)、『動物園のひみつ 展示の工夫から飼育員の仕事まで~楽しい調べ学習シリーズ』(PHP研究所)、『ひめちゃんとふたりのおかあさん~人間に育てられた子ゾウ』(フレーベル館)などがある。
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- 第72回ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの名にあらず
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第72回ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの名にあらず
こんにちは、動物園ライターの森由民です。ただ歩くだけでも楽しい動物園や水族館。しかし、 動物のこと・展示や飼育の方法など、少し知識を持つだけで、さらに豊かな世界が広がります。そんな体験に向けて、ささやかなヒントをご提供できればと思います。
●今回ご紹介する動物:ニホンイシガメ、ニホンアマガエル、ドジョウ、モツゴ、ニホンウナギ、タニシの一種、ベンケイガニ、クロベンケイガニ
(野生個体)ユリカモメ、ムクドリ、ウシガエル(幼生)、コサギ
●訪れた施設:足立区荒川ビジターセンター、新田わくわく♡水辺広場
わたしたちがいま、荒川と呼んでいる流れの河口から約22kmの範囲は、1911~1930年に及ぶ長い月日の中で人工的に切り拓かれた水路が基になっています。
それは流域の人びとを洪水から守る放水路です(※1)。この流れは1965年に「荒川放水路」から荒川へと呼び名があらためられました。また、放水路と分かれた本来の「荒川」(※2)は下流域とまとめて隅田川と呼ばれるようになりました。
※1.明治43(1910)年の水害が、放水路建設のきっかけとなりました。
※2.かつての荒川は、放水路(現在の荒川河口域)との分かれ目の岩淵水門の先で、新河岸川と合流し、千住大橋を越えてから隅田川と呼ばれていました。隅田川自体も、流れる地域ごとに浅草川、宮戸川、両国川、大川と呼び名を変えていたとのことです。
さきほど掲げた解説の写真は、こちらのパネルの一部です。このパネルは国土交通省荒川下流河川事務所が作成したものです。
パネルが設置されているのは、足立区生涯学習総合施設「学びピア21」の4階にある足立区荒川ビジターセンターです(さきほどのパネルそのものは国交省の直接管理です)。
荒川はいまでも整備が行われています。こちらは荒川沿いの北区が管理する土地で緑地や運動場を整備・造成するもので、昨(2022) 年11月から今年の5月いっぱいの工期を予定しています(本取材は、2023/4/21に行いました)。
ビジターセンターはコンパクトな空間ですが、目の前を流れる荒川をめぐって、昔からの環境の移り変わりや、いまのありさま、そして、季節ごとのリアルタイムの生きもの情報などを伝えています。そこには、地域で暮らしてきた人びとの暮らしのありさまなども含まれます。
楽しみながら、鳥やカニの細部を知ることができるぬり絵。折々に新作も登場しています。
蒸気機関車が走っていた頃の常磐線。昭和38(1963)年はわたしが生まれた年で、この翌年が最初の東京オリンピックだったのですが、それからの60年は地域にとどまらず、日本ひいては世界を大きく変えてきたのだと、自分の時間が歴史の一部だったことを実感します。
これも子どもたちに人気なのだろうなと思われるゲーム。オオオナモミの実を使って、植物たちが人の衣服や動物の毛皮などを利用して種子散布を行う繁殖戦略が紹介されています。
以前に取材したアクアマリンいなわしろカワセミ水族館にも同一趣向のゲームがありました(※3)。
※3.詳しくはこちらをご覧ください。
「小さな世界・大きな宇宙、ゲンゴロウ・冬虫夏草その他」
何種類かの荒川ゆかりの生きものたちの飼育展示も行われています。
ニホンイシガメは時折、水面に鼻を出して呼吸します。そしてニホンアマガエル。それぞれの足の様子などもじっくり観察できます。後でご紹介するセンター主催の観察会などを含め、実際に野外で暮らす、これらの動物たちとの出逢いにも興味をそそられることでしょう。
ドジョウの同居者はモツゴ。どちらも魚類ですが、水槽内での居場所や動きからも、それぞれがどんな環境に適応して進化してきたかがわかるでしょう。それらの環境すべてを含み込むのが、荒川の流域だということです。
タイミングよく顔を見せてくれたニホンウナギ。この水槽では、タニシが水苔を食べて、掃除屋さんを演じています。
こちらの展示の主はだれでしょうか。
ベンケイガニは赤いはさみと甲羅のスマイルマークが特徴です。
ぼつぼつとなったはさみのクロベンケイガニ。
ベンケイガニもクロベンケイガニも干潟だけでなく湿った草原などでも活動します。
この展示でもこんな姿が観察できます。荒川の干潟でのカニたちの暮らしを想い描いてみましょう。
ちなみに、センターの立地は河口から約12km、放水路としての荒川の中間域となりますが、ここもまだ海水と淡水が行き来する汽水域であり、満潮時には川が逆流するありさまも観察できるとのことです。ここにも、ひとつの出逢いがあります。
生体のほかにこのような標本もあり、手に取ることができるので、いろいろな視点・視角を楽しめます。
カニ類は、メスの腹節と呼ばれる部位が大きいことでオスメスの見分けがつきます。
さらに、こんなコーナーも。「新田自然保護の会」は、地域の方がたがつくっている会で、地元の自然環境の維持と保護、生物多様性の保護を目的に活動しています。
そして、この「新田自然保護の会」のみなさんの主な活動場所でもあるのが、「新田わくわく♡水辺広場」です。ハートマークを含めて、公募で定められた愛称です(以下、「水辺広場」と略記します)。
水辺広場の概要は、ビジターセンターに置かれたパンフレットで知ることができます。
センターから水辺広場までは約6kmと、気軽に歩ける距離ではありませんが、多自然型の管理がされており様々な生きものを見ることができるため、水辺広場周辺の川あるきイベントが組まれることもあります(※4)。
※4.こちらに掲載した写真のように、荒川ビジターセンターでは春・夏・秋冬の年3回、『あらかわしぜんあそび通信』を発行しており、折々のイベントも告知されています。この通信は、センターで紙形式で配布しているほか、公式サイトからもダウンロードできます。
ここから先は、取材当日(2023/4/21)に、実際に「新田わくわく♡水辺広場」まで荒川を遡ってみた時の、ささやかな記録です。
こちらがさきほどもご紹介した整備造成工事の様子。
川沿いではところどころで川岸近くまでは入れるところもあります(可否の掲示等にご注意ください)。干潟にはユリカモメの姿。
ここが水辺広場の上流部にあたる「バッタの草地」とバッタをはじめとする、いくつかの昆虫をかたどった置物がある広場です。夏休みをピークに、都会ではいまやこういう河原の草むらなどでしか見つけにくくなったトノサマバッタとも出逢うことができます。
餌をあさるムクドリの姿も。ムクドリは地上を歩きながら草の間にくちばしを差し入れて、虫などを捕らえるので、この一帯は暮らしやすい場所と言えるでしょう(これもまた、一種の虫捕りですね)。
水辺広場にはいくつかの池もあります。こちらの池は水路で他の池や荒川とつながっているので、荒川の水も入ってきますが、この時は魚はいませんでした。大きなオタマジャクシはウシガエルの幼生です。言うまでもなく、食用としてアメリカから持ち込まれたものが野外に定着してしまった外来種ですが、わたしたちは、そういうものとも自分たち自身の歴史として向き合っていかなければなりません。
さきほどのムクドリの写真に写っていたシロツメクサも原産地はヨーロッパで、牧草等として持ち込まれたものが広がったと考えられています(※5)。
※5. 1846年にオランダから、将軍に贈呈する器の運搬用の詰め物(クッション)として入れられていたのが、最初の到来の記録となっています。このできごとに由来して「白詰草」と名づけられているのです。別名としてクローバーのほかに、オランダゲンゲやオランダウマゴヤシがあります。
水位を示す柱。
池にかけられた遊歩道でもしばしばムクドリを見かけました。
干潟は水辺の生きものにとって貴重な生息環境です。荒川のこのあたりには、川の本流から入り込んだ水がよどむ「わんど」も何カ所か見られますが、それらも干潮時にはしばしば干潟の様相を呈します。
はるか昔、魚類の系統から両生類が進化したのも、こんな水辺だったのでしょう。
「新田わくわく♡水辺広場」の歴史はさほど長いものではありません。2008年に、それまでここにあった都民ゴルフ場を再整備して生まれた場です。グラウンドにしようという声もありましたが、人びとが自然の中に入っていける機会を、という意見が採用されました。
一文字に身を伸ばして飛ぶのはコサギ。黄色い足先が特徴です。
「新田わくわく♡水辺広場」をはじめとして、荒川の周囲に整備された環境は、人びとが普段は意識することが少ない、あるいはかつてはありふれていたがいつのまにか減ってしまった自然への、いわば「とば口」(ゲートウェイ)となっています。その整備の方針は、何か単一なかたちではなく、さまざまな環境を織り合わせるような、川本来の特性を保った多自然型が目指されています。足立区荒川ビジターセンターもまた、そんな荒川と人びとを結ぶ場として機能しています。川の流れも時の流れも後戻りするものではありませんが、海はいまも川へと潮を押し上げ、川はその沿岸にさまざまな地形を成して、生きものたちの暮らしの場(生息環境)を創り出します。わたしたちもまた、そんな自然の営みとのつながりを保ちつつ、当の自然にどう働きかけるかを含めた「歴史」を織りなして行けたらと思います。
川とともに歩みましょう。
写真提供:森由民
◎足立区荒川ビジターセンター
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