日本で唯一の動物園ライター。千葉市動物公園勤務のかたわら全国の動物園を飛び回り、飼育員さんたちとの交流を図る。 著書に『ASAHIYAMA 動物園物語』(カドカワデジタルコミックス 本庄 敬・画)、『動物園のひみつ 展示の工夫から飼育員の仕事まで~楽しい調べ学習シリーズ』(PHP研究所)、『ひめちゃんとふたりのおかあさん~人間に育てられた子ゾウ』(フレーベル館)などがある。
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第26回 ブラキストンという名のフクロウ
こんにちは、動物園ライターの森由民です。ただ歩くだけでも楽しい動物園。しかし、 動物のこと・展示や飼育の方法など、少し知識を持つだけで、さらに豊かな世界が広がります。そんな体験に向けて、ささやかなヒントをご提供できればと思います。
●今回ご紹介する動物:シマフクロウ・タンチョウ・エゾクロテン・エゾフクロウ
●訪ねた動物園:釧路市動物園・旭川市旭山動物園
寄り添う二羽。シマフクロウのペアでムム(メス)とトカチ(オス)です。ムムは1995年に釧路市動物園で生まれました。トカチは生まれた翌年(2000年)に弱っているところを保護され、来園しました。このペアは2005年以降、7回の繁殖に成功しています。また、ムムはトカチの前にもラクヨウというオスとの間に一羽のオスを生んでいます。
シマフクロウ(漢字では「島梟」)は翼を広げると180cmほどにもなる世界最大級のフクロウです。ロシアなどの極東地方に広く分布しますが、日本では北海道までの分布で津軽海峡は越えません。シマフクロウの学名は Bubo blakistoni と言います。この名のもとになったのは幕末から明治にかけて日本に滞在したイギリス出身の博物学者トーマス・ブラキストンです(命名のための標本もブラキストンが大英博物館に送っています)。ブラキストンは日本の動植物の分布を調べ、津軽海峡に大きな境界線があることを指摘しました。これをブラキストン線と言います(※1)。シマフクロウもその名の通りにブラキストン線に関わる分布をしており、北海道の自然のユニークさを教えてくれる存在です。
シマフクロウはかつて北海道の各地に生息していたと考えられますが、現在では道内でも生息域は限られ、個体数も140羽程度と推測されます(※2)。1971年に国の天然記念物に指定されましたが、釧路市動物園では開園当初の1975年から飼育を開始し、1988年には日本動物園水族館協会におけるシマフクロウの血統登録者になっています(国内動物園の飼育個体の繁殖等を把握・管理する役割です)。1993年には他の動物園(上野動物園・鹿児島市平川動物公園)の飼育個体も釧路市動物園に集められましたが、これは野生でも稀少なシマフクロウに対して、将来的には地元・北海道の動物園(釧路市・帯広市・札幌市・旭川市)が協力して、飼育展示・保護保全に当たっていくための第一歩でした。1996年には国のシマフクロウ保護増殖事業のもと、釧路市が「保護増殖事業者」として認められ、釧路市動物園はその事業拠点と位置づけられましたが、この間、1995年には動物園としては世界初の飼育下での孵化~巣立ちにも成功しています。この個体がムムで、「霧の街」と呼ばれる釧路市にちなんで「ムム(霧霧)」と名づけられました。
※1.南に目を転じると琉球列島も九州以北とは生きものの分布にちがいを見せています。これについては下掲の記事を御覧ください。
「動物たちのくにざかい」
※2.大陸産の個体を合わせても1000羽程度と考えられています。
説明が長くなってしまいましたが、シマフクロウと釧路市動物園の特別に深い関係がおわかりいただけたかと思います。
写真はムムとトカチが暮らす公開飼育施設です。右奥に巣穴のある擬木(人造木)が見えています。
こちらは擬木の裏側です。網棚の上、板で裏打ちされているところに巣箱が内蔵されています。この擬木は地元の北洋銀行が「ほっくー基金」の名で動物園を支援している活動の一環として製作・設置されました。
>擬木のすぐ前には一本の倒木があります。これは擬木設置前に巣穴が設けられていたもので、この写真でも穴を塞いだ跡が確認できます。
この池もシマフクロウの生態を配慮しています。かれらは英名を” Blakiston’s fish owl”と言います。ブラキストンは既に説明した通りですが、御覧のようにシマフクロウは「魚食者」なのです。日高地方のアイヌには、村をはじめとするアイヌの世界の守り神であるシマフクロウが柳の葉に食物となるべき魂を吹き込み、シシャモ(アイヌ語=直訳の漢字では「柳葉魚」)をつくってアイヌたちの飢饉を救ったという伝説もあります。アイヌの人々自身が多くの地方で伝統的に漁撈に携わってきたので、シマフクロウへの信仰も深いのでしょう(※3)。
この展示場からもシマフクロウが生きていくためには巣づくりに十分な太さの広葉樹がある森や、冬でも凍らずに魚を獲れる川が必要なのが分かります。特に川辺の林は重要なのです。
※3.アイヌではクマなどで、神が肉や毛皮などをまとって人々の狩りの対象として恵みを与えに来るという信仰があります。かれらを狩って肉や毛皮を受け取ることで、神は再び神の世界に還っていくと信じられてきたのです。そこからクマを大切に育てた後に、儀式の中でその肉や毛皮を頂くという「熊送り」の文化も生まれています。地方によって「フクロウ送り」の儀礼もあったことが知られています。
こちらはシマフクロウのための池の傍らに立てられたとまり木と連動した体重計です。シマフクロウは水辺の足場にとまって魚を狙うので、こうして体重を記録することが出来ます。
メインの展示であるムム・トカチのほかにもシマフクロウの展示ケージがあります(猛禽舎)。こちらは2005年生まれのメスでペペ。ムム・トカチの娘です。
そして、振り向けばこちら。生体の展示ではありませんが、それゆえにこそ、目の当たりで「世界最大級」を実感できます。売店も併設されているので、ひと息入れるのにもよいでしょう。
もう一度、ムム・トカチの展示前です。当園は釧路市教育委員会生涯学習部に属しており(日本では教育委員会に所属する動物園は少数派です)、学校教員の長期研修も受け入れていますが、こちらも園のスタッフの作・絵を研修教員の方が編集したものです。
そして、写真のページにあるように北海道内の動物園の連携のもと、新たな動きが始まっています。既に少し触れた、道内の動物園によるシマフクロウの分散飼育の試みです。飼育個体を一極化することは集中的な研究や繁殖等の取り組みに貢献することも大きいのですが、たとえば感染症等で大きな打撃を受ける可能性もあります。さまざまなマニュアルを手さぐりで構築していかなければならない野生動物では、そういった危険はさらに大きくなります。釧路市動物園も多くの試行錯誤を重ねてきました。その蓄積を基礎にして、2012年から分散飼育が始まりました。現在、札幌市円山動物園と旭川市旭山動物園にそれぞれ1ペアが飼育されており、飼育下繁殖の広がりも期待されています。
こちらが旭山動物園の飼育展示個体、モコ(メス)とロロ(オス)です。ロロは釧路市動物園のムムの弟に当たりますが、モコは野生からの保護個体(右目を怪我しているので飼育下にとどまっています)なので、繁殖による新しい因子の導入が期待されています。
旭山動物園の屋内観覧スポットからはシマフクロウと共生するエゾユキウサギも観察できます。魚を主食としているシマフクロウは給餌が安定していれば、あえてウサギを襲うことはありませんが、このような展示は肉食動物も草食動物もその中で然るべきポジションを持つ北海道の生態系の実際に目を向けるきっかけとなることを目指しています。
旭山動物園では現在のペアに先立って、同園での分散飼育の皮切りとしてロックという個体が飼育されていました。ロックはムムとトカチの娘です。
ロックは現在、釧路市動物園に帰っており、バックヤードのケージのひとつで暮らしています。このケージもムム・トカチの施設同様、「ほっくー基金」によっています。
さらにこちらは左からミナミ(オス)とミドリ(メス)。同じくバックヤードのペアですが、どちらも野生由来なので新しい血統の創設も期待されます。
ミドリ・ミナミが暮らす施設は初代園長・渡邊徳介氏の寄贈によるもので「渡邊ケージ」と呼ばれています。2009年に建てられましたが、2014年度には環境省シマフクロウ保護増殖事業の一環で一部補修され、その使命を遂行中です。
ところ変わって、こちらはタンチョウ観察広場です。釧路市動物園はシマフクロウと同様に開園以来、国のタンチョウの保護増殖事業の中心的役割も果たしています。飼育繁殖、それに基づく展示を通して、タンチョウという動物の実際やかれらが置かれている現状についての教育普及を行なっています。さらには傷病個体の保護・リハビリや野生復帰などの活動も担っているのです(※4)。展示されているのは、オスの019とメスのエムタツのペアです。
タンチョウ観察広場の奥は、非公開のタンチョウ保護増殖センターがあります(※5)。そこで暮らすメスのマリの悠然とした歩み。1976年生まれで道内産飼育個体としては最高齢です。
※4. 2011年には当園から台北市立動物園にも1ペアが貸与され、繁殖の取り組みが進んでいます。
※5.園内の高台にある「タンチョウ・アオサギ観察デッキ」から遠望することが出来ます。
タンチョウ観察広場のかたわらには、北海道電力の協力でこんな展示も設けられています。北海道では風景に溶け込んだ電線にタンチョウが衝突して命を失うといった事故が起きています。そこで北海道電力とNTT北海道は御覧のような黄色いマーカーを施すことでタンチョウの注意を喚起しているのです。
シマフクロウも電線に衝突したり、電柱に留まって感電したりしてしまいます。これについても直接電線に触れない止まり木を設けるなどの対策が進められています。
さらに既にお話ししたようにシマフクロウは魚食者ですが、餌を求めて養魚場にも飛来し、食害ばかりでなく、かれら自身が防護ネットに絡まったり、川と勝手の違う池にはまって溺れたりしてしまいます。
シマフクロウにとっては、本来の餌場である川のほとりに移動や生活の出来る林(河畔林)があることが何よりなのです。元より人の生活のために木々を切り開き、道や町をつくることも必要です。すべてをシマフクロウたちに返すことは出来ません。そんな中で、点在する河畔林を一定の幅の木立でつなぎ合わせる「コリドー(回廊)」は有力な対策です。人と動物たちの共存は何らかの工夫によるバランスで保たなければなりません。そして、自然を改変する力とともに、それを取り戻す工夫ももっぱら人にこそ出来ることなのです。
釧路市動物園がタンチョウと深く関わっているのは、タンチョウたちの生きる場として知られる釧路湿原の存在によっています。園内にも若干の湿原が囲い込まれ、木道の観察路も設けられています。
取材時(2017/6/19~20)にはエゾアカガエルのおたまじゃくしが観察できました。
平日の13:15からは湿原を含むガイドツアーも行なわれており、湿原の成り立ちやそこで観察できる植物についても、専門のスタッフから写真や標本なども交えて体験的に学ぶことが出来ます。
こちらは湿原の観察路の一方の出口、ハクチョウ池のほとりの「とりみロッヂ」です。
ロッヂの中には環境省の規格の巣箱(園内のシマフクロウたちも使っています)や、ムム・トカチの巣箱の中の実況中継などが展示されています。
さらにこちらは1980年代前半に設置された旧タイプの巣箱です。2011年に撤去され、現在は園の倉庫に眠っていますが、この巣箱でもシマフクロウの繁殖が行なわれたとのことです。
シマフクロウ・タンチョウ……釧路市動物園は開園時から広々とした敷地を活かして北方産・地元産動物中心の飼育展示を行なうことをコンセプトとしてきました。鳥類以外にも多くの道産動物たちと出逢うことが出来ます。こちらはエゾクロテンのオス・テンテンです。2009年に来園しました。ユーラシア大陸には同種のクロテンが分布しますが(※6)、日本では北海道にしかいません。
※6.エゾクロテンはクロテンの亜種(種のひとつ下のレベルの分類)です。
そして、エゾフクロウ。シマフクロウを別にして、北海道産のフクロウ類を集めた「ふくろうの森」の展示の一員です。「ふくろうの森」には5種のフクロウがおり、シマフクロウと合わせて、当園には道産フクロウ10種の半分以上が飼育されていることになります。エゾフクロウは北海道の方たちには馴染みのあるフクロウで、それゆえにはじめてシマフクロウを見る来園者はエゾフクロウと比べて口々に「こんなに大きいんだ」と感嘆するそうです。みなさんも実地に体感してみてください。
飼育動物たちの食べものを知らせるめくりプレート。
さらに詳しい解説プレートと読みあわせると、餌のヒヨコたちをフクロウたちが食べることで、いのちの連鎖となっていることが分かります。シマフクロウを知ったわたしたちならば、夜の森での野生のエゾフクロウたちがネズミを狩る姿も、川辺で魚を獲るシマフクロウともどもに思い浮かべることが出来るでしょう(※7)。
※7.シマフクロウの獲物もカエルや小型哺乳類などを含みます。飼育下の個体にはニジマス・ホッケなどの魚のほかに、やはりヒヨコも与えられています。
最後に再び、バックヤードのシマフクロウたちです。左からメスのラライ・オスのフラト、そして2017/4/10に孵化した雛です。孵化の成功は七年ぶりで通算17回21卵に及びます。
ラライは餌を細かくちぎって雛に与えますが、フラトは丸ごととのことで、子育て方針の違いというところでしょうか。
わたしたちが動物園で出逢うのは常に個体です。じっくり観察すればそれぞれに個性豊かなかれらに向き合うことで、わたしたちは他では得難いリアリティや親しみを感じることが出来るでしょう。生きた動物を飼育展示することの重要さは、たとえばそんなところにあるとも言えるでしょう。
しかし、各個体の世代を超え、動物園の枠を飛び出した野生にまで、それぞれの動物種の世界は広がっています。動物園体験は、常にそのような気づきへの入口であり、わたしたちはそうやって人と動物の関わりや生きものと環境のつながりにまで想いを至らせることもできるでしょう。
動物園に行きましょう。
☆今回取材した園
◎シマフクロウ・タンチョウ・エゾクロテン・エゾフクロウに会える動物園
釧路市動物園
旭川市旭山動物園(シマフクロウ以外は北海道産動物舎に展示され、エゾクロテンはアメリカミンクと比較できます)
文中にもあるように、シマフクロウは札幌市円山動物園でも飼育されています(非公開施設です)。
札幌市円山動物園
写真提供:森由民
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