日本で唯一の動物園ライター。千葉市動物公園勤務のかたわら全国の動物園を飛び回り、飼育員さんたちとの交流を図る。 著書に『ASAHIYAMA 動物園物語』(カドカワデジタルコミックス 本庄 敬・画)、『動物園のひみつ 展示の工夫から飼育員の仕事まで~楽しい調べ学習シリーズ』(PHP研究所)、『ひめちゃんとふたりのおかあさん~人間に育てられた子ゾウ』(フレーベル館)などがある。
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- 第73回京都市動物園はじめて物語
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第73回京都市動物園はじめて物語
こんにちは、動物園ライターの森由民です。ただ歩くだけでも楽しい動物園や水族館。しかし、 動物のこと・展示や飼育の方法など、少し知識を持つだけで、さらに豊かな世界が広がります。そんな体験に向けて、ささやかなヒントをご提供できればと思います。
●今回ご紹介する動物:アジアゾウ、ニシゴリラ、チンパンジー、ジャガー、トラ、ヨーロッパヤマネコ、ライオン(☆)、ゴーラル(☆)、ツシマヤマネコ
☆は過去の飼育動物です。
●訪れた施設:京都市動物園
1903(明治36)年開園の京都市動物園は、今年(2023年)で120周年を迎えました。全国2番目、20世紀日本としてははじめての近代動物園となります(※1)。
今回は、京都市動物園を主題に、そこでのいくつかの「はじめて」や「さきがけ」を見ていきましょう。
開園のきっかけは、まだ皇太子だった大正天皇のご成婚でした。それを記念する何かを、ということで市議会での審議などを経て、動物園が創られることになりました。注目されるのは、この流れで、市民に対する大規模な募金が行われたことです。結果として、約6000名による寄付(1万4000円)で建設総額(3万円)の5割近くが賄われました。京都市動物園は「王子様をお祝いする動物園」であったとともに、文字通り「市民自身が創り出した動物園」として誕生したのです(※2)。
※1.日本初の近代的動物展示施設は、1873年に現在の帝国ホテル付近に建てられた博物館の動物展示場です。これが1882年に上野公園に移転・拡充されたのが上野動物園のはじまりです。19世紀の日本では近代動物園はこれのみです。
詳しくは下記をご覧ください。
「日本最初の動物園」
※2. 1965年に日本陸軍の田奈弾薬庫補給廠の跡地に創られた「こどもの国」(横浜市青葉区)も、1959年の当時の皇太子殿下(現在の上皇陛下)のご成婚を記念して全国から寄せられたお祝い金を基に「お祝いの品を頂くよりも、子どもたちのための施設を」という皇太子ご夫妻のことばによって開設されました。詳しくは下記をご覧ください。
「タヌキとヒトと人間と」
園内にある「噴水池」は開園当時からのランドマークで、ビオトープ化を含む整備が続けられています。
この噴水池の水源ともなっている琵琶湖疏水は、1890年に琵琶湖から京都に水を引くために造られました。2013年に新設された東エントランスは、京都市営地下鉄東西線の蹴上駅からこの疏水のほとりを経てのアプローチとなっています(正面エントランスは同・東山駅からの最寄りです)。
東エントランスの新設は、2009年に策定された『共汗でつくる新「京都市動物園構想」』の一環です。「共汗」(一緒に努めよう)というキャッチフレーズ通り、この「構想」の具体化に向けての検討では13名の専門委員と21名の市民委員による「動物園大好き市民会議」が組織されました。開園以来の「市民自身が創り出した動物園」という想いは、いまも息づいているのです(この構想は、2020年の「いのちかがやく京都市動物園構想2020」へと発展して、いまも園の将来への歩みの基盤となっています)。
新「京都市動物園構想」では、限られた園内で、生物多様性・種の保存について来園者の理解を得つつ持続的な展示を行っていくために、飼育種に優先度をつけ、重点的に飼育繁殖に取り組むものから、時には現存の個体を大切に看取りつつ、その後は飼育を断念するものまで、丁寧な検討がなされました(※3)。
アジアゾウは、選定された5つの最優先種(特に繁殖を推進し生息域外保全に寄与する種)のひとつです。
群れるメスたちと、柵越しのオス。ゾウはメスだけが群れをつくり、オスは成熟していくとともに母親の群れを出て、自分が繁殖に関われる別のメスの群れとの出逢いを求めます。
2011年生まれのオス・秋都(あきと)トンカムは2014年にメス3個体とともにラオスから来園しましたが、10歳過ぎからオスとしての行動が目立ちはじめたので、いまはこのようなかたちでメスたちと距離を取りつつ、互いを意識しあえる状態となっています。同時に、メスの中から2008年生まれの冬美トンクンを選んで、折々に同居も試みています。本格的な交尾には至っていませんが、しばしば秋都トンカムが冬美トンクンの後ろから交尾姿勢で乗ろうとするマウントが観察されており、今後の展開が期待されています。
※3.これをコレクション・プランと言います。下掲の記事もご覧ください。
「進化する動物園」
1971年生まれ(推定)のメスの美都は1979年にマレーシアから来園しました。ラオスからの子ゾウの来園を期して2015年に完成した新ゾウ舎になかなかなじめず、2年ほどは一種の「引きこもり」になっていましたが、飼育員の努力もあって展示場に出るようになり、さらにいまの秋都トンカムのような隣接形式で馴らしていく中で、若ゾウたちとも同居できるようになりました。
美都の特徴は右のお尻のコブです。その他、ゾウたちの個体識別の解説サインがありますので、挑戦してみてはいかがでしょうか。
ニシゴリラもまた、最優先種です。学習・利便施設(正面エントランス)の2階にある展示室の、この剥製は、1970年に京都市動物園で生まれたオスのマックです。日本初の繁殖成功でした。
展示室では、マックの父親のジミーの骨格標本も見ることができます。
そしてこちらはマックがメスのヒロミと1982年にもうけたオス・京太郎です。母親のヒロミは3歳6か月(推定)で来園するまで個人に飼われていたとのことで、親からの育児を経験していないため、飼育員は妊娠中にアメリカの動物園でのゴリラの出産のビデオを見せるなどして、母親としての行動を促しました。こうして、飼育下三代目の誕生に成功したのです(※4)。
※4. 1989年には京太郎のための「京太郎舎」もつくられ、その後はオランウータン舎になりました。京都市動物園ではオランウータンもまた、1975年に日本初の繁殖成功としてメスのチャコが生まれています(現在、京都市動物園ではオランウータンは飼育されていません)。
京太郎は1993年に死亡しますが、1986年に生まれたヒロミとマックの第二子(メス)のゲンキは、2014年に完成したゴリラの新飼育展示施設「ゴリラのおうち~樹林のすみか~」で、いまも健やかに暮らしています。
植栽も工夫された「ゴリラのおうち」、左上のゲンキ・キンタロウ母子と、地上を行くとびぬけてたくましい白い背中。
2000年に上野動物園で生まれた、キンタロウの父親のモモタロウです。ゴリラの群れの基本は、中心となるおとなオス(成熟を示す白い背中にちなんでシルバーバックと呼ばれます)に複数のメスが集まり、それぞれのメスが子を産むかたちとなっています。つまり、ゴリラの場合、「群れの子=シルバーバックの子」ということになるので、シルバーバックは積極的に離乳後の子の世話をし(この時、母親メスはスイッチが切り替わって次の妊娠・出産に向けた発情を迎えます)、社会的にも「父親」の役割を演じます(※5)。モモタロウの場合、ゲンキとのペア的生活ですが、心身ともにシルバーバックの自負があるようです。
※5.同じヒト科(大型類人猿)でも、チンパンジーはひとつの群れに複数のオスメスがいるので、父子関係には不確定性がありますし、オランウータンは単独生活者なのでオスは交尾するだけで子育て(社会的父親の役割)には関わりません。
「ゴリラのおうち」の外形は大きなケージですが、それがモモタロウのようなおとなオスにも、ダイナミックな三次元的活動を可能にしています。つまり、アフリカの森の構造と機能の再現です。
そして、こちらは2011/12/21に生まれたゲンキとモモタロウの第一子のゲンタロウです。キンタロウの兄ということになります。
ゲンタロウは誕生後数日で衰弱が見られ、ゲンキの泌乳量が足りていないようだったので、いったん人工保育となりました(写真は2012/6/22撮影)。しかし、飼育担当者はゴリラの体に似たジャケットを着て、そこに抱き着かせるなど、ゲンキの元に子どもを返すことを前提とした飼育を進め、11か月ほどで母子の再同居に成功しました。途切れ目なく形成された母子関係とはずれがあるかもしれませんが、ゲンキとゲンタロウ、そしてモモタロウの関係は順調につくられていき、いまでは兄としてキンタロウと遊ぶことも日常となっています。それはゲンタロウのオスとしての将来のふるまいのレッスンともなっていくでしょう(キンタロウの社会性の発達にも寄与するのは言うまでもありません)。こうして、京都市動物園はゴリラの飼育下四代目までの継続を実現しています。
しかし、日本の動物園のゴリラの飼育展示の継続には、大きな課題があります。現在、繁殖可能なゴリラの群れがいるのは京都市動物園・上野動物園・東山動植物園(名古屋市)ですが、上野動物園の繁殖を担ってきたメス・モモコはモモタロウの母親です。また、上野動物園と東山動植物園の繁殖オスは兄弟関係にあります。つまり、海外との個体の交流がない限り、今後の世代継承は近い将来に行き詰まらざるを得ないのです。
既にご紹介したアジアゾウの場合、京都市がラオス政府との友好関係を推進してきたこともあり、園とラオス国立大学・京都大学野生動物研究センター(WRC ※6)の共同プロジェクトとしての飼育展示が行われています。それは、生息域外で絶滅危惧種の飼育繁殖に努め、その中での研究を深め、展示を通して人びとがその種やそれを取り巻く環境についての意識を高めることを促すという「生息域外保全」の取り組みです。
これに対して、ニシゴリラの場合、生息地であるアフリカに人びとの意識を向けることの大切さは当然ながら、そのための飼育展示を維持するにあたっては(※7)、飼育個体の繁殖のための移動をはじめとして欧米との連携が欠かせません。このため、京都市動物園はWAZA(世界動物園水族館協会)に加盟し、海外の動物園とも関係づくりを行っています。 (なお、ニシゴリラの国際血統登録担当者はドイツのフランクフルト動物園に所属しています)。
また、京都市動物園は2021年に、初の海外動物園との包括的な連携・協力に向けて、台北市立動物園と覚書を交わしました。台北市立動物園は既にEAZAとの連携でニシゴリラの飼育個体の交流を行っており、それが繁殖にもつながっています。また、後でご紹介する京都市動物園の最優先種のツシマヤマネコ(※8)やグレビーシマウマなどの飼育繁殖も共通する課題となっています。
このように国内、そして国外のさまざまな動物園どうしのネットワークは、動物園がその使命を果たしながら存続するには不可欠のものですが、この点についても、京都市動物園はひとつの「さきがけ」となっています。それは、1939年にこの園で開催された第一回全国動物園園長会議です。この会議には、当時日本の統治下であったソウルと台北を含む各地の動物園長が集い、そんな交流の中から翌1940年には日本動物園水族館協会の第1回総会が開かれるに至ったのです。この時代といまではネットワークの意味は変わっていますが、それもまた踏まえていくべき歴史です(※9)。
※6.京都市動物園では、京都市と京都大学が2008年に結んだ「野生動物保全のための研究と教育に関する連携協定」によって、WRCの研究者(田中正之准教授)が園内での研究・教育活動を行ってきましたが、2013年(開園110周年)に田中さんが京都市動物園に移籍するかたちで、園独自の「生き物・学び・研究センター」のセンター長となり、複数の研究員等が所属する研究・教育部門が成立しています。
今回の本文では割愛しましたが、ゴリラとチンパンジーの屋内展示には常設・公開型の認知研究設備があり、タッチモニターを使って数字の系列を学習する「お勉強の時間」を見学することができます。
※7.動物園での飼育繁殖と展示が、それ自体として「目的」ではないことにご注意ください。動物園では、この場合、「生息域外保全」の理念に則った飼育展示こそが正当と見なされるのです。
※8.日本産動物であるツシマヤマネコ・イリオモテヤマネコ、そしてタイワンヤマネコはそれぞれアジア大陸周辺に広く分布するベンガルヤマネコの亜種です。
台湾と、イリオモテヤマネコが棲む西表島を含む琉球列島との関わりなどについては、下記もご覧ください。
「動物たちのくにざかい」
「歴史と未来のゲートウェイ」
(この記事は、本文で触れた第1回・全国動物園園長会議当時の日本と台湾・朝鮮半島の関係にも関わります)
※9.現在の日本動物園水族館協会(JAZA)は日本国内の動物園・水族館のネットワークとして、日本の園館のいまと将来を担う機能を果たしています。
なお、JAZAは全体として世界動物園水族館協会(WAZA)に加盟していますが、京都市動物園は他のいくつかの日本国内の園館とともに、単独でもWAZAの会員となっています(京都市動物園の加盟は2018年)。
京都市動物園でのチンパンジーの位置づけは、20の優先種(計画的に繁殖に取り組み飼育展示を優先する種)のひとつです。
こちらは展示室の「太郎」。1969年に来園し(推定3歳)、メスの初子と同居します。繁殖には至りませんでしたが、1996年に死亡するまでのほとんどの時間を京都市動物園で過ごしています。
太郎の相手の初子は1964年に京都市動物園初の繁殖成功個体として生まれました(※10)。
※10.国内初の繁殖成功個体は1962年の福岡市動物園のオスで、こちらは「初男」と名づけられています。1963年と1964年には神戸市立王子動物園でもチンパンジーが生まれています。
緑豊かな現在のチンパンジー舎。お天気に恵まれた分だけ、かなり暑く(2023/5/12取材)、チンパンジーたちも日陰で涼をとっていましたが、
2018年生まれのオス・ロジャーはおとなたちのグルーミングを観察したり(この後、自分でも少しまねをしていました)、枝を操ってみたりとあれこれ動き回っていました。チンパンジーでは、おとなが子どもに積極的に何かを教えるという行動は確認されていませんが、子どもはおとなたちのふるまいを観察し、まねることで、社会的な行動を含むさまざまな学習を遂げていきます。チンパンジーらしく生きるには、そして、その姿を的確に展示するには、群れ飼育が必須なのです(※11)。
※11.こちらもご覧ください。
「離見の見、動物と人の距離」
最後は「もうじゅうワールド」です。このゾーンでのジャガーの展示は、こちらの記事でご紹介しました(写真は2017年撮影です)。
「ジャガーをめぐる色模様」
アムールトラのアオイ。新型コロナウイルスはネコ科にも感染するのがわかっており、もうじゅうワールドの一部はロープによる観覧路のゾーニングなどで平常よりも遠くからの観察となっていますが、それもまた、これからの動物と人間の適正な距離を考えるきっかけとできるでしょう。
一見何もいないように見えつつ、奥の台の下にはこちらを見据えるヨーロッパヤマネコのオス・ロキの姿が。彼は京都・パリ友情盟約60周年(2018年)を記念して、パリ動物園から贈られました。
こちらは、さきほどアムールトラのアオイがいた展示場を逆方向から覗いたものです(2015/4/1撮影)。この頃、ここはライオンの展示場でした。
ライオンもまた、1910年に京都市動物園が日本初の繁殖(オスメス各1個体)に成功した種でした。初繁殖後も多くの個体が誕生し、大阪市天王寺動物園・熊本市動植物園・北九州市到津の森公園のもととなる園が開かれた時にも、京都市動物園生まれのライオンが導入されたことが記録されています。
写真手前はメスのクリスですが、この後、2017/1/2に18歳で死亡します。これはライオンとしては長寿であったと考えられます。
あとには1997年生まれのオス・ナイルが残りました。こちらは既にクリスが死亡してからの写真ですが(2017/1/20撮影)、クリスの生前からナイルは「ここは俺のなわばりだ」というように、折々にデモンストレーションと考えられる行動をしていました(園としてはナイルの欲求を尊重しつつも、刺激しすぎないように来園者に呼びかけていました)。
ライオンにはネコ科としては珍しくプライドという群れがありますが、その核となるのはメスたちの集いです。オスは自らの勇猛さで他のオスを排し、プライドのメスたちに受け入れられている限りで、そのプライドに滞在しメスたちと交尾します(時に、兄弟オスが協働するなどして、同時期に複数のプライド[メス集団]を巡回しながら関わる[他のオスを排除して交尾権を維持する]という事例も知られています)。ゴリラのゲンキとモモタロウのように、ここでのナイルはクリスとのペアでしたが、彼には自分の居場所を力強く主張するというライオンのオスとしての、文字通りの「プライド」があったように感じます。
しかし、そんなナイルも老いと衰えは避けられませんでした(2017/3/28撮影)。やがて、足元もおぼつかなくなっていきました。そんな弱った姿を展示することへの批判的コメントも寄せられ、一般的には、日常生活の質の低下が一定水準を下回るなら、ひとの手で苦痛から解放するという意味での安楽殺の選択肢もありましたが、ナイルにとって何が一番よいのかを職員は検討し続けました。
結局、ナイルは、飼育員や獣医師が日々注意深く観察しケアする中で、2019/1/31に国内最高齢の25歳10か月で死亡します。
もうじゅうワールドのライオンのスペースは、ナイルとクリスの2個体での暮らしを前提としており、群れ(プライド)での飼育展示には余裕がありません。コレクション・プラン上でも調整種(飼育展示の見直しが必要な種)に指定されていました。このため、現在ではさきほどのアムールトラのように、他の展示種のスペースとして利用されており、ケージにもライオンがどういう動物で、なぜ、京都市動物園では飼育の終結を選んだのかが解説されています。同時に、ナイルの追悼に際して、来園者に向けて高齢動物の安楽死をどう考えるかを問うたアンケート結果の簡潔な紹介もなされています(このアンケート結果とその分析は論文化されています)。
展示室には、ナイルに関連した展示コーナーも設けられています。
そして、こちらは北東アジアを中心に生息するゴーラルで、メスのホンホンです(2012/2/10撮影)。2004年生まれのホンホンは、国内最後のオナガゴーラルでしたが、2022年4月に左下顎にガンが発見され(外科手術不能と判定)、最終的には食欲の減退等、著しく日常生活の質が低下していることが認められたので、2022/10/19に安楽殺の処置が行われました。当日、飼育員と獣医師が園で定めたQOL(生活の質)評価シートで検討した結果、すべての項目が5段階の最低の1と評価されたことを踏まえての「これ以上は少しでも苦しみを長引かせるべきではない」という判断でした。
京都市動物園では2020年に「動物福祉に関する指針」を策定し、改訂を加えつつ運用しています。ホンホンに対するQOL評価シートも、この指針に基づいてつくられたものです。
動物園動物はもっぱら「野生を伝える」という原則で飼育展示されていますが、一方において飼育下にある以上、どんな生活をしどんな死を迎えるかについては、人間の責任が大きくならざるを得ません。
そして、動物園はそういった原則や個々の事例を発信することで、来園者にも「動物に対する責任とは何か」を考えるきっかけを与えていることになるでしょう。それもまた、動物園の重要な教育啓発活動であり、存在意義なのです。
再び、もうじゅうワールドに戻ってきました。既にふれたように、京都市動物園はツシマヤマネコも最優先種に指定しています。
キイチは2007年に福岡市動物園で生まれたオスです。繁殖オスとして京都市動物園に来園し、未公開の繁殖棟で暮らす中、2017年にメスの「めい」との間でオスの勇希とメスの優芽(ゆめ)の父親となりました。これは本州では初めての飼育下繁殖の成功でした。その後、勇希は東山動植物園に移動して父親となっています。
キイチは一時、京都市動物園を離れたこともありますが(これらすべてが全国規模での繁殖ネットワークの運用に関わっています)、現在は繁殖オスからは引退して、ゆったりと過ごしています。
動物園はスタッフが来園者を迎える場ではありますが、一方で動物園は、生きた動物なしでは成り立たず、動物たちはホストでもゲストでもない第三の存在です。この動物たちを守り、健やかに飼育して、適切な姿で展示する責任において、動物園スタッフは来園者サービスのためのホストという立ち位置を超えますし、来園者もまた、一方的にサービスされるゲストからははみ出すことになります。そして、わたしたちは動物たちの生や死のありようから、この世界には人間だけが生きているわけではないと認識することへの大きな促しを得られるのです。
京都市動物園の長い歴史と、将来に向けてのいまは、数々のそんな促しに満ちています。
動物園で振り返り、動物園から進みましょう。
写真提供:森由民
◎京都市動物園
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