日本で唯一の動物園ライター。千葉市動物公園勤務のかたわら全国の動物園を飛び回り、飼育員さんたちとの交流を図る。 著書に『ASAHIYAMA 動物園物語』(カドカワデジタルコミックス 本庄 敬・画)、『動物園のひみつ 展示の工夫から飼育員の仕事まで~楽しい調べ学習シリーズ』(PHP研究所)、『ひめちゃんとふたりのおかあさん~人間に育てられた子ゾウ』(フレーベル館)などがある。
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第29回日本最初の動物園
こんにちは、動物園ライターの森由民です。ただ歩くだけでも楽しい動物園。しかし、 動物のこと・展示や飼育の方法など、少し知識を持つだけで、さらに豊かな世界が広がります。そんな体験に向けて、ささやかなヒントをご提供できればと思います。
●今回ご紹介する動物:オオサンショウウオ・クサガメ・ニホンイシガメ・ニホンカモシカ・アジアスイギュウ・タイワンヤマネコ(石虎)・カタツムリ(貝殻標本)・バリケン
●訪ねた動物園:わんぱーくこうちアニマルランド・台北市立動物園・日立市かみね動物園
「近代動物園」はヨーロッパで生まれました。動物園を「生きた野生動物を飼育展示する場」と捉えるなら、それまでも王侯貴族は自分たちの権威を誇る意味もあって、さまざまな動物コレクションを擁してきました。それらと近代以降の動物園を境界づけるのは「市民への開放」と「科学的基盤」ということになるでしょう。そのような意味での「日本最初の近代動物園」は1882年3月に開園した上野動物園ということになるでしょう。
しかし実は、この上野動物園には基となった動物コレクションがあります。それらの施設は現存しませんが、以下、いくつかの現代の園館の動物たちの写真を御紹介しながら、ささやかな「日本近代動物園ことはじめ」を語らせていただきます。
1871年秋、現在の湯島聖堂大成殿に明治政府による「展覧場」がつくられました。日本でも江戸時代以前から動物見世物はありましたし、「花鳥茶屋」などと呼ばれるクジャクなどの美しい鳥類を中心とした観覧施設もありましたが、それらはもっぱら娯楽だけの場であったと考えられます。これに対して明治政府の展覧場はヨーロッパの博覧会ひいては博物館を意識しており、近代的な展示を目指した一歩が踏み出されたと言えます。ここで最初に飼育されたのはオオサンショウウオとクサガメだったと言います。かれらこそが「日本最初の動物園動物」と言えるかもしれません(※1)。
※1.オオサンショウウオについては現在の上野動物園に関する、以下の記事を御覧ください。
カメの写真は高知県高知市の「わんぱーくこうちアニマルランド」です。後ろから乗りかかるようにしているのがクサガメです。甲羅が黒く、くっきりと三本の筋(キール)があります。これに対して、乗られている方はニホンイシガメです。甲羅のキールは頂の一本のみで色もクサガメより薄く、また後部が波立っているなどの特徴があります。ニホンイシガメは日本在来種ですが、最近の研究によりクサガメは大陸(おそらくは朝鮮半島)から18世紀末に持ち込まれた外来種とされています(その後も中国産の飼育個体の遺棄などがあるようです)。クサガメの分布はいまも広がっており、ニホンイシガメや沖縄のいくつかの島に分布するリュウキュウヤマガメと交雑してしまうなどの問題が指摘されています。
湯島聖堂の展覧場では1872年3月に動物展示を含む博覧会が開かれます。この際、オオサンショウウオやクサガメのほかにも日本各地から珍しい動物たちが集められました。たとえば、琉球(現在の沖縄)の鷲(※2)・シマフクロウやトナカイ(※3)などが記録に残っています。
※2.この鷲の種名は不詳のようですが、琉球列島を代表するワシとしてはカンムリワシがあります。琉球列島のユニークな生きものたちについては以下の記事を御覧ください。
※3.トナカイは当時の北海道で飼育されていたのかもしれませんが、さらに北方の樺太(現・サハリン)から仕入れたとも考えられています。シマフクロウとトナカイについては以下の記事も御覧ください。
こうして明治政府が多くの動物たちを集めていたのには、国際的な理由もありました。翌1873年に日本はウィーン万国博覧会に出品することになっていたのです。そのために明治政府は全国に呼びかけて、動植物を含む物産品のコレクションを創っていったのでした。近代国家としての日本は始まったばかりで、先程触れた琉球はこの年(1872年)に「藩」とされることになりますし(「沖縄県」の設置は1879年)、「蝦夷地」と呼ばれていた北海道が名を変えたのも1869年のことでした。
続々と集まる所蔵品に、すぐに湯島の博覧場は手狭となります。こうして、帝国ホテルなどがある「内山下町」(現在の内幸町一丁目)にあらたな博物館が設けられ、付属の動物飼育展示場もつくられます(1874年)。ウィーン万博の際、それぞれの物産品は万博に送るものとは別にスペアが仕入れられていました。動物コレクションもそんな経緯で博物館で飼育されていたのでした。北海道産のキタオットセイなども飼われていたと言います。あるいは一時的にしろニホンオオカミもいたかもしれないと考えられますが、はっきりしたことはわかりません。
そして、この動物。ニホンカモシカです(※4)。1879年、ロンドン動物園は、ヨーロッパ人にとっては「珍獣」というべきニホンカモシカをコレクションに加えていますが、その三年前、内山下町博物館に栃木県産のカモシカが運び込まれています。このカモシカのその後の行方はわからないのですが、もしかするとロンドンに運ばれたのかもしれないと言われています。世界中の動物を集めようとするヨーロッパの動物園、それを真似て追いかけるように(まずはもっぱら国内産の)動物を収集する内山下町博物館、そんな構図が見て取れます。
※4.こちらも「わんぱーくこうちアニマルランド」の個体です。かつては四国全域に分布していたと考えられるニホンカモシカですが、いまは高知・徳島県境を中心とする地域にのみ生き残っています(分布域内でも分散傾向を見せており、オスメスの「出逢い」の減少から、繁殖の危機にあります)。本州産と比べると見た目も小柄で、遺伝的にも四国での独自の進化が窺われます。わんぱーくこうちアニマルランドでは、この希少なカモシカたちを飼育繁殖して守るとともに(飼育下での「種の保存」)、展示を通して、その存在価値を伝え続けています。当園から搬出された個体を基に、とくしま動物園・広島市安佐動物公園・上野動物園で四国産ニホンカモシカが飼育展示されています。
さらに内山下町博物館では、横浜の中国人の仲介で広東省からアジアスイギュウを仕入れたという記録も残っています。この写真は台北市立動物園です。スイギュウは台湾でも伝統的な家畜で、同園では水田を人々の生活に隣接しつつ保水や生きものたちのすみかとして機能する「湿地」と捉えて、農村の風景を再現しています。
台湾産のヤマネコも内山下町博物館で飼われていたと言います。台湾のヤマネコはイリオモテヤマネコやツシマヤマネコ同様、アジアに広く分布するベンガルヤマネコの亜種(種のひとつ下のレベルの分類)で、中国大陸と同一亜種と考えられています。台湾ではかれらを「石虎」と呼んでおり、台北市立動物園も保全活動の拠点のひとつとなっています。
内山下町博物館の展示動物には、栃木県日光や現在の江東区で採集されたカタツムリもリストアップされています。カタツムリなんてありふれているとお思いでしょうか。
陸産の貝類は移動能力が低いこともあり、日本各地で独自の分布が知られています。日本は1000種近い陸生の貝類がいるとされ「陸貝大国」と呼ばれることもありますが、特に四国には300種ほどが生息し「陸貝の宝庫」とされます。高知県はその中の160種あまりが確認されており、まさに宝の山と言えます。わんぱーくこうちアニマルランドでは高知県の生物多様性の紹介の一環として、陸貝類の標本の展示も行っています。このような事例を見るならば「日本のカタツムリ」というひとことの向こうに広がる、生きものと自然の豊かさを感じていただけるでしょう。
最後はこの鳥です。アヒル……ガチョウ?中南米原産の家禽でバリケンと言います。アジアでもベトナムなどで飼育されており、日本でも沖縄ではよく知られているとのことですが、日本全体としてはさほど広がってはいないと言えるでしょう。沖縄には15世紀頃に中国から持ち込まれたとされています。
1882年、内山下町博物館は上野公園に移転します。この際、動物飼育展示場が独立した地所で拡充されたのが、現在の上野動物園となります。この移転の際の動物リストに「小笠原産バリケン」という名が見えます。小笠原諸島へのバリケンの渡来の経緯はよくわかっていません。あるいは前記の沖縄等とは独立に持ち込まれたのかもしれません。国際的には明治政府が1876年に小笠原諸島の領有を宣言していますが、父島には1830年にアメリカの白人とハワイの人々が共に移住してきたことが知られています。これが無人島だった小笠原の最初の住人とされています。それは当時の捕鯨船の往来と関係してのことですが、このように島々は国の政治と結びつくととも海に開かれてもいて、さまざまな交通の歴史が積み重なっています。小笠原産バリケンにもそんな歴史が秘められているのかもしれません。
随分と急ぎ足で粗々としたかたちながら「日本最初の動物園」についてお話ししてきました。150年ほど前、まだわたしたちにとって「動物園」ひいてはあれこれの「文明」は当たり前のものではなく、欧米由来のものとして出逢い学び取り入れようとしてきたことがおわかりいただけたかと思います。そうやってつくられたものこそが、いまのわたしたちであり日本なのだと言えるでしょう。
動物園・水族館でも、どの動物がいつ頃はじめて、その園館に来たかなど解説が附されているのを見かけます。そんなものにも目をやりつつ、そこで向き合う動物たちに眠る歴史を想って見るのもよいでしょう。
動物園に行きましょう。
※以下の本を参考にしました。
小宮輝之(2010)『物語 上野動物園の歴史』中央公論社。
小森厚(1997)『もう一つの上野動物園史』丸善。
佐々木時雄(1987)『動物園の歴史』講談社。
☆今回取材した園
◎オオサンショウウオ・クサガメ・ニホンイシガメ・ニホンカモシカ・カタツムリ(※)に会える動物園
※貝殻の標本展示
◎アジアスイギュウ・タイワンヤマネコ(石虎)に会える動物園
台北市立動物園 公式サイト(英語版)
◎バリケンに会える動物園
写真提供:森由民
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