トップZOOたん~全国の動物園・水族館紹介~第64回カモシカの足、誰の足?

日本で唯一の動物園ライター。千葉市動物公園勤務のかたわら全国の動物園を飛び回り、飼育員さんたちとの交流を図る。 著書に『ASAHIYAMA 動物園物語』(カドカワデジタルコミックス 本庄 敬・画)、『動物園のひみつ 展示の工夫から飼育員の仕事まで~楽しい調べ学習シリーズ』(PHP研究所)、『ひめちゃんとふたりのおかあさん~人間に育てられた子ゾウ』(フレーベル館)などがある。

第64回カモシカの足、誰の足?

こんにちは、動物園ライターの森由民です。ただ歩くだけでも楽しい動物園や水族館。しかし、 動物のこと・展示や飼育の方法など、少し知識を持つだけで、さらに豊かな世界が広がります。そんな体験に向けて、ささやかなヒントを御提供できればと思います。 
 
今回御紹介する動物:ホワイトタイガー(ベンガルトラの白変種)・アクシスジカ・ホンシュウジカ・ワピチ・ニホンカモシカ・キリン・エランド・シマウマ・ダチョウ・バーバリーシープ・シタツンガ・ブラックバック・ヤギ・ヒツジ
 
訪れた動物園:東武動物公園・埼玉県こども動物自然公園
 
※ニホンカモシカにまつわる話題以外はすべて東武動物公園での取材です。写真についてもニホンカモシカとそれと並置されたホンシュウジカの写真のみが埼玉県こども動物自然公園での撮影です。
 

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干支にちなんで、まずはホワイトタイガー。
地球上のトラはすべて1種ですが(学名Panthera tigris)、少なくとも8~9の亜種に分けることができたと考えられています。残念ながら、存在は知られながらも絶滅したものもあり、現存の亜種は6つとされています。
しかし、ホワイトタイガーは亜種ではありません。個体の変異です。亜種としては南アジアのインド周辺に棲むベンガルトラで、その中にたまたま生まれてきた白い突然変異(白変個体)を人間が珍重してきたものです。
 
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そんなわけで、ホワイトタイガーを野生にあてはめるならベンガルトラということになりますが、かれらの主な獲物のひとつが、こちらのアクシスジカです。森の中で、体の縞模様を草や木に紛れさせながら(※1)、ベンガルトラはアクシスジカを襲うのです。
 
※1.シカを含む多くの哺乳類は、わたしたちヒトほどには色を見分ける機能が発達していません。結果として、シカの目にはトラの黄色の派手さは目立たず、黒い縞とのコントラストは草むらではちらちらとして、トラの姿が見えづらいのです。
 
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シカ科の動物はユーラシア大陸から南北アメリカ大陸に広く分布し、日本にも中国大陸やロシアとともにニホンジカが棲んでいます。こちらはニホンジカの本州産亜種(ホンシュウジカ)のオスで名前はクロマツです。シカ科動物はトナカイを例外としてオスしか角が生えません(※2)。
 
※2.トナカイについては、こちらを御覧ください。
 

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そんなわけでこちらはメス。ワピチ(シカ科)のマーサです。北アメリカから東北アジアに広く分布しています。北アメリカには氷河期にユーラシア大陸から分布を広げたと考えられています(※3)。
 
※3.氷河期の訪れと終わりに伴う海水面の上下が大陸や島をつないだり切り離したりして生きものの分布に影響を与えてきた地球の歴史については、こちらを御覧ください。
「カピバラへ、カピバラから」
 

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シカ科の動物は季節変化とともに毎年オスの角が生え変わります。東武動物公園では、ホンシュウジカ・アクシスジカ・ワピチの角を展示しています(アライグマ・アフリカタテガミヤマアラシなどがいる小獣舎の建物内です)。見比べてみるのも興味深いでしょう。
 

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さて、ホンシュウジカとともに、こちらも日本産動物。シカはシカでもカモシカです。埼玉県こども動物自然公園では、園内の谷あいの一部を囲い込んで、ニホンカモシカを展示しています(飼育動物です)。わたしたちはデッキを歩きながら、カモシカのいる森に入り込んだ感覚に浸れます。
 

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同じ谷あいの別の区画には、ニホンカモシカと隣り合ってホンシュウジカも展示されています。飼育を始める前の各区画の植生など、元の条件は一緒ですが、シカとカモシカでは樹々に与える影響なども違うので、現状をじっくり観察して理解を深めましょう。また、ホンシュウジカのオスメスは、写真の通り、すぐに見分けられますが(オスは角が落ちている時期でも土台の部分は残っています)、ニホンカモシカの性別は一目ではわかりません。メスにも角があるからです(そして、季節による生え変わりもありません)。
シカという名がついていても、ニホンカモシカはシカ科ではなくウシ科です。その意味でも、隣り合わせのホンシュウジカとの比較観察は、多くのことを学ばせてくれます。
 
さてここで、ようやくながら今回のタイトルにまつわるお話です。日本には「カモシカのような足」という表現があります。細く長くて美しいという意味合いのほめことばです。確かにヒトに比べたら、ほっそりしてはいるでしょうが、たとえばシカと比べてみると、そんなに際立ったものではありませんよね。なぜ、あえて「カモシカ」なのでしょうか。

 
カモシカは漢字では「羚羊」と書きます。進化系統で言うと、二ホンカモシカは種よりひとつ上(科よりひとつ下)のレベルの分類ではカモシカ属となります。ニホンカモシカは日本固有種ですが、カモシカ属には他に、中国南部から東南アジア・南アジアにかけて分布するスマトラカモシカと台湾固有種のタイワンカモシカがいます。
しかし、「羚羊」ということばにはさらにいろいろなウシ科の動物たちが含まれる使い方もあります。これはカモシカ属と進化の系統が近いもののとりまとめではないので、いわば文化的な分類ですが(※4)、そういう広がりの中では意外な動物たちも「羚羊」と呼ばれます。
 
※4.他の文化的分類の例として、たとえば、日本では伝統的にアナグマとタヌキをひとくくりに「むじな(貉)」と呼ぶ習慣が広く見られましたが、アナグマはイタチ科、タヌキはイヌ科です。
こちらの記事も御覧ください。
「貉と狸」
 

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こちらは東武動物公園の「アフリカサバンナ」。2021/6/11生まれのキリンのオスナツキが、とっこりとっこり歩いていく先にはウシのようなシカのような動物がいます(2021/12/17撮影)。
 

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よい加減に互いに無関心。
エランドはアフリカのサバンナや比較的開けた森に棲むウシ科動物です。
アフリカ大陸は北部のごく一部を除いて、シカ科動物がいません。その代わりのようにして、ウシ科動物からシカのような姿かたちの種も多様に生まれています(※5)。この「シカのような姿かたちのウシ科動物たち」というのも、明確にひとつの進化系統にまとめられるわけではないのですが、ひとくくりに「アンテロープ」という呼び方がされています(文化的名称と言ってよいでしょう)。多くのアンテロープがアフリカ大陸の住人です。
さて、エランドは系統としてはカモシカ属からはかなり遠いのですが「オオカモシカ」とも呼ばれます。これもまた、文化的な見なしですが、日本を含む東アジアの漢字文化圏では「羚羊」ということばに、アフリカのアンテロープたちも繰り込んできたのです。日本では、この場合の「羚羊」をカモシカではなくレイヨウと読むことが一般的ですが、エランドの例のように、そこにはカモシカという観念も重なっています。
 
※5.ウシ科のような偶蹄類(系統学的にはクジラ偶蹄目)もウマ科のような奇蹄類もかつて現在のユーラシア大陸と北アメリカ大陸が結合していた場で進化し、後に大陸の分離・結合の中で現在のアフリカ大陸にも移住してきたとされています。
 

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アクシスジカの主な捕食者はベンガルトラでしたが、アンテロープの中でも最大級のエランドの場合、ライオンが大敵ということになります。
東武動物公園では、ライオンもホワイトタイガーとともに、ネコ科の肉食動物を集めた「キャットワールド」で見ることができます。
 

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「アフリカサバンナ」では、他にキリン3頭(子キリンの両親のホープとナツコ、もう一頭のメス・ティナ)がおり、さらにシマウマたちも同居しています。
 

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エランドやキリンたちの隣の区画には、オスのダンと4羽のメスの計5羽のダチョウが暮らしています。そして、それとは別に、ある動物が。
 

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バーバリーシープのオスでアイルです。アフリカの岩がちな荒れた土地に棲み、かれらもウシ科です(アンテロープとは呼ばれません)。
 

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アイルはダチョウたちと距離を取って暮らしており、うまく見つからないこともありますが、お見逃しなく。
 

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こちらは「キャットワールド」の向かいとなる展示場です。それこそ一見シカのようですが、これもアフリカのアンテロープのひとつでシタツンガです。
ウシ科動物の一般的特徴として、ニホンカモシカ・エランド・バーバリーシープなどはすべて、オスメスともに角を持ちますが、シタツンガの角はオスのみで、この点でもよく動物園ではシカと見間違われますが、あくまでもウシ科です。
 

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シタツンガは沼地を好み、長い蹄が圧力を分散して、そのような場所でもじょうずに歩けます。肉食動物に襲われた時などは、すばやく水中に逃げ込む習性も持っています。
 

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こちらは2021/9/16生まれの子どもです。もうしっかりとした姿ではありますが、まだおっぱいは恋しいようです(授乳期間は、約2~3ヶ月です。)
 

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シタツンガの母子の前をせわしげに歩いていくのはエジプトガンです。シタツンガの同居者としては、他にハゴロモヅルもおり、これらはすべて、アフリカの水辺にゆかりのある動物たちということになります。
 

さて、そんなわけであらためて「カモシカの足」なのですが、一説にはこのカモシカはアンテロープではないかとされています。実際に英語には「ガゼルのような足」という「カモシカの足」と同趣旨のほめことばがあります。ガゼルは比較的小型のアンテロープたちを指し、砂漠やサバンナなどに棲みますが、さきほどのシタツンガ同様に小型できゃしゃでサバンナを駆け回るガゼル類ならば「細くて長い足」のたとえに使われても不思議はないように思われます(※6)。英語ないしは欧米起源の言い回しを日本語に訳すときに「ガゼル~アンテロープ~羚羊~カモシカ」という転移が起こったのではないかというのが、この説の骨子です。この場合、「カモシカのような足」という言い回しはアジアのわたしたちにとっては比較的新しい輸入物なのではないかと考えられますが、社会学・歴史学・言語学などで研究が進んだら興味深いのではないかと思います(いまのところ、しっかりした研究はないようです)。
 
※6.残念ながら現在、日本国内にはガゼルの仲間の飼育展示園はありません。
 
ところが、ここでまた別の推理の道筋があるようにも思われるのです。それは「カモシカの足」という言い回しの起源がとても古く、アジア発祥ではないかというものです。
みなさんは、仏教の開祖であるお釈迦様を御存知でしょう(※7)。シャカには三十二種類の体の特徴が備わっていたと伝えられます(※8)。そのうちのひとつが「伊泥延膞(いにえんせん・いでいえんせん)相」です。一般的には「手足が鹿のように細く引き締まっている」という意味であると解説されます。鹿、アクシスジカでしょうか。
しかし、ここで鹿と訳されている「伊泥延」を古代インドのサンスクリット語に遡ってみると”aineya”と記すことができるもののようで、その意味を調べてみると英語では”black antelope”という訳が出てきます。「黒いアンテロープ」です。
 
※7.本名はガウタマ・シッダールタで、シャカというのは彼の出身集団のシャーキヤという名から来ています。また、仏陀(ブッダ)というのも仏教における「最高の悟りを開いた人」の意味で固有名詞ではありません。しかし、ここではお話を滑らかにするために「シャカ」と呼んでおきます。
 
※8.三十二大人相。ただし、シャカが少なくとも紀元前4世紀よりは前の人と考えられるのに対して、三十二大人相がはっきりと語られるようになったのは、紀元前3世紀以降のようです。つまり、シャカ個人というよりは仏教をめぐるインド圏の人びとの中にある「偉大な人はこんな美しく素晴らしい特徴を持つだろう」という観念の表れというべきでしょう。
 

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実はアンテロープと見なされる動物はユーラシア大陸にもいます。そのひとつとして、このブラックバック(blackbuck)はインド地域に広く分布しています。「バック」(buck)は背中(back)ではなく、その意味の中にはウサギやシカのオスというものも含まれます。ブラックバックもシタツンガと同様、オスだけに角が生えます。また、学名は” Antilope cervicapra”といい、後半(cervicapra)に注目すると「鹿山羊」という見なしが読み取れます。
シャカにまつわる「黒いアンテロープ」がブラックバックなのかはわかりません。そもそも、ここまでのお話全体が専門家ではないわたしがささやかに調べ、考えてみただけのものですが、ブラックバックの分布域にはシャカが生き活動した地域も含まれ、楽しい想像を繰り広げたい想いに駆られます。どなたかがきちんと検討してくださるとうれしいのですが。
 

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ちなみに、ヤギ(前者の写真)もヒツジ(後者の写真)と同様にウシ科です。
 

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のんびり寛ぐブラックバックのオス・ダヌシュ。群れの中で優位なオスの体が真っ黒になるのもブラックバックの特徴です。
 
不確かなお話を長々と書いてしまったかもしれません。
しかし、世界中の動物がコレクションされた動物園は、単に動物学への入り口というだけではなく、それらの動物たちと人が関わり紡ぎ続けている歴史と社会、つまりは世界全体へのまなざしにもつながる場所と言えるでしょう。
今回は「カモシカ」ということばに注目しながら、文化的な流れを想い描いてみましたが、文化もまた、わたしたちが動物たちとともに生きる世界の産物なのは言うまでもありません。動物園はそういうものへの学びのきっかけにもなり得るのです。動物園の側からもしっかりとしたかたちでのそういう方面の発信もなされてほしいと思いますし、わたしたちもそうやって動物園体験の可能性を広げられたらと思うのです。
 
動物園で広げましょう。
 
 
写真提供:森由民、yukimi(写真にクレジットがあるもの)
 
東武動物公園
埼玉県こども動物自然公園

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