日本で唯一の動物園ライター。千葉市動物公園勤務のかたわら全国の動物園を飛び回り、飼育員さんたちとの交流を図る。 著書に『ASAHIYAMA 動物園物語』(カドカワデジタルコミックス 本庄 敬・画)、『動物園のひみつ 展示の工夫から飼育員の仕事まで~楽しい調べ学習シリーズ』(PHP研究所)、『ひめちゃんとふたりのおかあさん~人間に育てられた子ゾウ』(フレーベル館)などがある。
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第59回歴史と未来のゲートウェイ
こんにちは、動物園ライターの森由民です。ただ歩くだけでも楽しい動物園や水族館。しかし、 動物のこと・展示や飼育の方法など、少し知識を持つだけで、さらに豊かな世界が広がります。そんな体験に向けて、ささやかなヒントを御提供できればと思います。
●今回御紹介する動物:エランド・ダチョウ・蘭嶼豚・ツシマヤマネコ・ツシマテン・与那国馬・口之島牛
●訪れた動物園(すべてCOVID-19による非常事態宣言以前の取材です):新竹市立動物園(台湾)・福岡市立動物園・台北市立動物園・沖縄こどもの国
1.新竹市立動物園と福岡市動物園のゲート
台湾の新竹市立動物園と福岡市動物園には、そっくりのデザインのゲートがあります。
新竹市立動物園
福岡市動物園
新竹市立動物園は1916年に日本統治下の台湾(1895~1945年)で原型が生まれましたが、本格的な開設となる1936年、ドイツのハーゲンベック動物公園を模したゲートが造られ、現在も園内の噴水池とともに、当時の面影を残しています。
そして、1933年に開園した福岡市動物園も同じくハーゲンベック動物公園をモデルとしたゲートを造りました(福岡市動物園は1953年に現在地に移転したので、ゲートも再現されたものです)。
新竹市立動物園は2019年末にリニューアルオープンしました。
多角的なビューでエランドやダチョウが暮らすアフリカの草原が観察できたりする、リニューアル後の新竹市立動物園の多彩な魅力については、いずれあらためての取材とともにお伝えしたいと思います。
今回のリニューアル工事の中で、正門のゾウやライオンも、繰り返された塗り替えの過程の再検討が行われ、創設時の色に復元されました。
福岡市動物園も、歴史を偲ぶゲートから階段を上がれば、2018年にできたばかりの動物情報館(ZooLab)が迎えてくれます。
時には鳴いてみたり。
新竹市立動物園と福岡市動物園。同じ時代にヨーロッパの動物園を意識しながら、そして、当時としては同じ日本の勢力の中で創られた二つの動物園では、それぞれに過去・現在・未来がクロスするひとときが味わえます。
2.台北市立動物園
台湾で一番古い動物園は台北市立動物園です。これもまた日本統治下の1914年に現在の台北市中山区の圓山公園の一部に、まずは民営のかたちで動物園がスタートしました。1916年に正規に公営化され、その時、圓山に動物園ができる前から現在の台北市立植物園内に集められていた鳥類や台湾産動物のコレクションも、圓山動物園に統合されました。
この写真は、日本統治期からの面影をとどめる台北市立植物園内の温室です。
日本統治期にも圓山動物園は上野動物園・京都市動物園・天王寺動物園・韓国の李王職動物園(現在のソウル動物園の母体)と並んで「大日本帝国五大動物園」とみなされていました。台北市立動物園は1986年に郊外に移転し、現在の所在地の名をとって「木柵動物園」と愛称されつつ、アジア最大の規模と国際水準の園として運営されています(※1)。
最近のニュースとしては、同園は京都市動物園との協働の覚書を取り交わし(2021/2/8調印)、ニシゴリラやグレビーシマウマの繁殖、ツシマヤマネコ・タイワンヤマネコ(どちらもアジア大陸周辺に広く分布するベンガルヤマネコの亜種)の保全にかかわる相互協力を進めていくこととなっています(※2)。
こちらの写真は、かつて動物園付属の児童遊園地だった台北市立児童育楽中心です。この遊園地自体が2014年末に閉園となっており(別の場所に新遊園地を開設)、この写真は2015年にそのなごりを撮影したものです。
現在の台北市立動物園内には、動物愛護デーにちなんで圓山動物園時代の1925年から始められた動物慰霊祭を記念する解説板があります。
第二次世界大戦末期(1943~1945年)、台北市立動物園でも空襲による動物の脱出と市民への危害を防ぐべく猛獣処分(電気等での殺処分)が行われた記録がありますが、それも踏まえてのいまの台北市立動物園のありようは、わたしたち日本で暮らす人間にこそ学ぶべきものが多いのではないでしょうか。
同じく台北市立動物園の歴史の一部として、以前、児童動物区の入り口には動物の訓練の変遷が掲げられていました。動物ショーは戦後の台北市立動物園が立て直されていく過程で、大きな人気を博したイベントでしたが、現在は動物福祉の観点および動物園が伝えるべきそれぞれの動物種本来の姿からのずれへの顧慮で廃止されています。かつて、ショーのための訓練が行われていた歴史を知ることで、動物の健康管理のための訓練へとシフトした意義も、より深く理解されることになります。
この児童動物区は、水田を中心とした伝統的な農村のありさまを再現しており、人間の営みの場でありつつも他の生きものたちにも大切な湿地帯として機能してきたことが伝えられています。
そして、台湾・蘭嶼島の先住民族タオ人が飼育してきた家畜種・蘭嶼豚の姿は、さらに細やかに台湾の孕む多様性を示しています。
少しだけ前に戻って、福岡市動物園は日本で初めてツシマヤマネコの繁殖に成功し、既にふれた京都市動物園を含む、全国のツシマヤマネコの飼育繁殖ネットワークの基礎となりました。現在、このように各地でツシマヤマネコが分散飼育されているのは、万が一の災害や感染症などで対馬のヤマネコが地上から消えてしまわぬように備え、また飼育下の知見を野生のヤマネコの保全に役立てるためです(※3)。
なお、沖縄こどもの国もツシマヤマネコの飼育展示の輪に加わっています。
※1.『台北市立動物園百年史』(台北市立動物園・2014年)を参考にしました。
※2.こちらのリンクを御覧ください。
また、京都市動物園のグレビーシマウマについてはこちらの拙稿を御覧ください。
「キリンという哺乳類」
台北市立動物園のタイワンヤマネコについても、以前に御紹介させていただきました。
「日本最初の動物園」
※3.先にも述べたようにタイワンヤマネコもツシマヤマネコも、そして、イリオモテヤマネコも、すべてベンガルヤマネコの亜種ですが、イリオモテヤマネコは独立亜種、ツシマヤマネコはかつて陸続きだった朝鮮半島に住むアムールヤマネコと同一亜種、そしてタイワンヤマネコは中国大陸部と同一亜種とされています。このような異同の中にも大陸や島々の自然史が刻まれています。
3.軍馬と在来馬
こちらは、沖縄こどもの国の在来家畜(明治以前からの飼育品種)、与那国馬と口之島牛です。在来馬や在来牛は明治の近代化の中で、西洋種との交配による品種改良で姿を消していきました。動物園が在来家畜を飼育展示することは、このような歴史を記憶にとどめるという意義を持ち、遺伝的多様性を保つことにもなるので、「種の保存」の一環です。
このシリーズ・エッセイでも、以前に紹介した通り、沖縄(琉球)は明治になってから藩~県という変遷を経ており、渡瀬線等の生物分布の転換を孕みながら、九州以北の日本と台湾の間に展開する島々としてユニークな存在を示しています。在来家畜もまた、そういう琉球列島のありようの一部です。
「動物たちのくにざかい」
戦争と動物園と言えば、日本でも猛獣処分に焦点が置かれることが一般的ですが、たとえば、それ以前の上野動物園では日清戦争で活躍した軍馬が人気を集めるなど、戦争はたとえ勝利の色合いの中でも、動物園に暗い翳を落とします。
そして、在来馬を消し去ろうとしてきた明治以降の品種改良の主目的のひとつは、優秀な軍馬の生産にほかなりませんでした。
第二次世界大戦をまたぐかたちで上野動物園長を務めた古賀忠道は「動物園は平和の象徴(Zoo is the peace)」と記しましたが、それは動物を集めて飼育展示すればなんだか平和な気持ちになれるというのではなく、動物園は歴史の中で暗くも明るくなり得る以上、動物園とそれを支えるわたしたち市民のたゆまぬ努力で「平和の象徴」であるべく守られなければならないという意味でしょう。
動物園は、わたしたちが過ごしてきた歴史と未来を展望し、考えるきっかけを与えてくれるゲートウェイなのです。
動物園の門を潜りましょう。
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