便育コラム 第27回「うんこ」の話題をオープンにしよう!
子どもの排泄行為が自律すると、親の関心は子どもの排泄の有無や、いつどんな便を出しているのかということからすっかり遠ざかってしまいます。
そしてそれまでは子どもが便をするたびに「いいのが出たね」「がんばったね」と褒めていたのが、今度は子どもが「うんこ」の話をするものなら「汚いからやめなさい」「恥かしいからだめ」などと「躾」が始まります。
子どもが時と場合を考えずに不用意に排泄の話を人前でしないように躾けることは大事なことなのですが、排泄の汚さや恥ずかしさだけを強調することがないように配慮する必要があると思います。
排泄物は確かに汚いけれど、なければ困るどころか、生命を維持することさえもできません。そして子どもが正しく「汚さ」を理解し、「汚さ」から身を守ることができるようにするためには、単に排泄物を遠ざけることを教えるだけでは不十分なのです。幼児期には難しくても、小学生になれば汚してしまった時の始末の仕方や、手洗いの方法など具体的に教えることで、むやみに恐れる必要はなくなるのです。
また、排泄行為は人前ですることではないという節度を守ることは必要ですが、排泄行為そのものが恥ずかしい行為であるわけではありません。食事中などは避けたほうが良いかもしれませんが、トイレに行きたいときに「行きたい」と言えたり、便の様子を家族や友人と話して、共有できる雰囲気は必要だと思います。
近年の清潔志向が進む中で、「排泄物」はますます目の敵にされているのですが、何度も書いてきたように、排泄物には身体からのメッセージが込められているのです。それを読み解く余裕を子どもたちにも身につけてもらいたいと思います。便の様子を他者と気軽に話すことができれば、自分の便の異常にも気がつきやすくなります。
どんな色なのか、どんな形なのか、どんなニオイなのか、それはどうしてなのか・・・・。
「今日はもう出たの?」「どんなうんちだった?」と簡単に会話を交わすだけでもよいのです。
子どもの排泄に対するイメージがネガティブになると、学校でトイレに行くのを極端に恥ずかしがって我慢することにもなりかねません。
排泄をネガティブなこととして捉えるのでなく、オープンに話題にする中で節度や取り扱いについて教えてゆく必要があるでしょう。
家庭でも、園でも、学校でももっと気軽に話せる雰囲気があってよいはずです。