便育コラム 第31回子どもにとって「うんち」はただの排泄物ではない
これまで30回にわたって子どもと「うんち」について書かせていただきました。今回と次回はその総括編とさせていただきます。
乳児期の子どもにとって「うんち」は単なる排泄物ではなく、特別なものです。
乳児期はうんちをすることで褒めてもらえ、それによって自分の存在意義を確認することもあります。
(第1回 うんちはプレゼント!)
「うんち」をしたあと、おむつを交換してもらったり、パンツを履かせてもらうことは親とのコミュニケーションを楽しむきっかけにもなっています。
子どもが素直にパンツを履いてくれないとき、親は必死に履かせようとして、追いかけたり、捕まえたりします。その結果子どもとのやり取りが増えて子どもは大喜び!ということもあります。
時に子どもたちは「うんち」を利用して大人を試したり、コントロールしようとします。
「オムツ返り」や出ないのに「うんちが出る」と言うのもその一例でしょう。排泄の問題は親にとっては放っておけないことだからこそ、子どもたちはそれを逆手に取って利用するのです。
「うんち!」といわれれば、親は振り向かざるを得ないからです。
(第7回おむつ返りはどうして起こる?)
(第8回「うんち!」で大人を試す)
子どもが2歳前後になるとオムツがそろそろ取れないかとトイレットトレーニングにも熱が入りますが、そもそもヒトの子はなぜおむつをするのでしょうか。
ヒト以外の動物でおむつを使う動物なんていないのです。オムツなどの子育てグッズを多用するのがヒトの子育ての大きな特徴です。オムツ以外に哺乳瓶や、ベビーベッド、ベビーカーなど数知れない「モノ」に頼ってヒトは子育てをしています。
(第3回 なぜヒトは「おむつ」を使うのか?)
これらの子育てグッズはあまりにも日常的に我々の生活に溶け込んでいて、それが無くては子育てができないほど当たり前になっています。
しかし、モノを介して子どもと向き合うため、子どもの表情を読み取る代わりにモノの変化に注目するということが起こっています。
たとえば子どもの表情やしぐさではなく、おむつなら濡れているか濡れていないかに注目しています。哺乳瓶なら目盛りやミルクの量に注目してしまいますね。
モノが無ければ、もっと子どもが出すサインそのものに敏感になっていたかもしれません。オムツがあることで子どもの「おしっこが出そうだ」というサインに注目するより、オムツの中身を確認することが目的になっていないでしょうか?
このことはトイレットトレーニングをとても複雑なものにしてしまっているといえるでしょう。
(第4回 おむつなし育児)
トイレトレーニングという言葉が私は好きではありませんが、トレーニングが必要であるとすれば、親が子どもの便意や尿意を読み取るトレーニングなのでしょう。
(第10回トイレットトレーニングって誰のトレーニング?)
子どもにとって、親が子どもの表情やしぐさを読み取って「うんちが出そうなの?」と応答してくれることは、子どもが便意や尿意を自覚してこの感覚がおしっこが出る前の感覚なのだ、この感覚がうんちの出る前の感覚なのだと理解することにつながるのです。そしてさらにそれが親との「つながり」を確認する大切な機会にもなっています。
環境面の違いが子どもの排泄の自律に影響を与えることもあります。
多くの保育園では0歳児は自由に便器にアクセスすることはできません。沐浴室の奥に便器が設置されていたりするからです。
トイレは連れて行ってもらうところであり、自分で行くところではないのです。
(第13回保育園の0歳児室にトイレがないのはなぜ?)
(第14回子どもが主体的になれるトイレタイムを)
(第15回自由にトイレに行けると自立が早くなる!)
この他律型の環境を子どもがいつでも便器にアクセスできるような環境に変えてあげると子どもの排泄の自律はぐんと早くなるのです。
自分の行きたいときに便器に座り、自分のペースで用を足し、膀胱の中の尿が全部排出される感覚、尿道から出る感覚、おなかの中の便が直腸に降りてきて肛門から排出される感覚を思う存分に感じることが重要なのです。
この感覚に興味を持った子どもは20分も30分も便器に座っていることがあります。このような自由な時間を保証してあげることが大切です。
子どもにとって「うんち」は単なる排泄物ではありません。
コミュニケーションのきっかけであり、親との信頼関係を試すツールであり、自分の身体を知る手掛かりでもあるのです。